渡辺美奈代 恋はちょっぴり
SONY Night Square 渡辺美奈代 恋はちょっぴり | |
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ジャンル | バラエティ |
放送方式 | 録音 |
放送期間 | 1988年4月10日 - 1989年12月31日 |
放送時間 |
日曜 22:00 - 22:30 (※ニッポン放送での放送時間) |
放送局 | ニッポン放送 |
ネットワーク | NRN各局(#ネット局の節を参照) |
パーソナリティ | 渡辺美奈代 |
テーマ曲 |
デイヴィッド・フォスター 『Winter Games』 |
提供 | SONY |
『渡辺美奈代 恋はちょっぴり[注釈 1]』(わたなべみなよ こいはちょっぴり)は、1988年4月10日から1989年12月31日[注釈 2]までニッポン放送で放送されていたラジオ番組。パーソナリティは渡辺美奈代。ソニーの一社提供枠『SONY Night Square』で放送されていた。
概要
[編集]渡辺美奈代は、これ以前にニッポン放送で『フレッシュインカドカワ 渡辺美奈代 背のびしてルージュ』(1987年4月12日 - 同年10月4日、毎週日曜日AM11:30 - 12:00)のパーソナリティを務めていたが、6か月で終了、これ以来6か月のブランク[注釈 3]を置いてのレギュラー番組となった。なお、渡辺のニッポン放送におけるレギュラー番組はこの番組と『おニャン子のアブない夜だよ』(1985年12月 - 1987年4月2日)に続く3本目である。
オープニングでは「これから美奈とちょっぴり恋しましょ」、エンディングでは「来週も美奈とちょっぴり恋しましょ」とあいさつするのが通例であった。
放送が始まった頃は、「学校」「テスト」「ボーイフレンド」「ガールフレンド」「面白い親」などの身近なテーマを毎週挙げて話題を募集していた他[5]、番組のタイトルに合わせて、幼いけど甘かったような恋のレポートを紹介するコーナーがあった[5]。はがきが採用されたリスナーには、最初は番組特製CDシングルアダプター[注釈 4][6]が、後に贈られるノベルティグッズは黄色いバンダナに変更[7](バンダナは1989年秋から新バージョンに変更[8])、そして『今日からあなたもミナの彼』コーナーの参加者にはソニーの渡辺の生声入りカセットテープが贈られた[7][9]。
月刊ラジオパラダイス(三才ブックス)1989年12月号内の記事によると、はがきを送るリスナーは渡辺のファンがほとんどで、その男女比率はほぼ同じだが、その中でも20歳前後の男性からのはがきが群を抜いて多かったとのこと。各コーナー宛だけではなく普通のお便りも多く来る、とある[7]。
なお、1988年4月から1989年3月までの間は、直前の21:30 - 22:00の枠で『渡辺満里奈 見つめてMY HEART』が放送されており、元おニャン子クラブの「W渡辺」の番組が2本続けて放送されていた[10]。
主なコーナー
[編集]- あまのじゃく観察レポート
- リスナーの“あまのじゃくな体験”を募集。本番組の放送第1回から設けられたコーナー。
- ごめんなさいテレフォンあまのじゃく
- リスナーが思わずとってしまったあまのじゃくな態度、行動を電話で懺悔。毎週日曜日に留守番電話で、ニッポン放送での放送が終わった22:30から23:30まで受け付けていた。本番組の放送第1回から設けられたコーナー。
- 美奈とちょっぴりポエムしましょ(1989年6月まで[11])
- 毎回「ペロペロ」「ボッキン」などの変わったキーワードを3回以上織り込みながら“素敵な”詩を作る[6]。
- 片思い・美奈にそっと言ってみな
- ス・ゴ・イ(1989年7月から)
- あなたのハート・こっち恋
- 今日からあなたがミナの彼(1989年11月から)
- 『あなたのハート・こっち恋』コーナーの「大人の恋」というテーマ通りに至らなかったことで開き直って「リスナーから彼氏を見つけちゃおう」としてスタート。渡辺の“彼氏”に立候補するリスナーを募集。写真付きの履歴書と、ハートをつかむための30秒メッセージを録音したカセットテープを同封して送ることになっており、放送ではこの中から選ばれた履歴書とメッセージが共に紹介されていた。なお、このコーナーへの参加は「男女は問わず」とされていた[12]。
- 1989年12月13日にこのコーナーの集大成にして本番組最後のイベントと公開録音『決定!?美奈の彼・グランプリ!!』が、当時ニッポン放送で一番大きなスタジオ「ラジオハウス銀河(銀河スタジオ)」で開催。このコーナーに履歴書とメッセージを送ってきたリスナー、『ス・ゴ・イ』コーナーでの高得点獲得者からの選抜、そして当日会場からの飛び入り参加者を合わせた10名で競われた。まず○×クイズで5名に、『ス・ゴ・イ』コーナー同様に一発オチのギャグのセンスを競った上で3名に絞られ、最後はカフェに見立てたステージで渡辺と1対1で向き合って2分間で口説くという実技で決戦を行った。しかし会場からの拍手の大きさで審査した結果、グランプリは18歳の女子に決定、「やっぱり美奈は男子に縁が無い」とオチが付いて終了した[2]。
ゲスト
[編集]- 東山紀之(少年隊)(1988年6月19日)
- 錦織一清(少年隊)(1988年12月4日)
- 植草克秀(少年隊)
- 少年隊の3人は一人ずつゲスト入りした。
- コロッケ(1989年2月26日)
- 大槻ケンヂ(筋肉少女帯)(1988年9月24日)
- 志村けん
- 北岡夢子
- 中村由真
- 他
放送されていた局
[編集]- ニッポン放送(制作局)- 日曜日22:00 - 22:30
- STVラジオ - 土曜日23:00 - 23:30
- 東北放送 - 土曜日23:30 - 24:00
- 東海ラジオ - 日曜日22:30 - 23:00
- 朝日放送 - 日曜日22:30 - 23:00
- 中国放送 - 土曜日23:00 - 23:30(1988年10月から)
- KBCラジオ - 土曜日23:30 - 24:00
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ このタイトルについては、「チョッピリ」と片仮名書き(KBCラジオ)だったり、「!」が付いている場合1つだったり2つ(「!!」…STV、東海ラジオ、ABC、KBC各番組表)だったり、「!」が付いてない場合もあり局によって様々であり、ニッポン放送の番組表でも「チョッピリ」(1988年4月版)→「ちょっぴり!!」(1988年10月版)→「ちょっぴり」(1988年4月・10月各版)と一定していなかった[1]。なお、月刊ラジオパラダイス(三才ブックス)1990年2月号内の記事(1989年12月13日の本番組のイベントの『決定!?美奈の彼・グランプリ!!』)に掲載されていた写真(銀河スタジオ上部に掲げられていた看板)におけるタイトルは「!」マーク無しのものであった[2]。
- ^ 局によって最終回放送日が異なっていた。東海ラジオでは12月31日まで放送[3]。ニッポン放送では12月24日は『ラジオ・チャリティー・ミュージックソン』を放送、12月31日も大晦日特別編成が組まれたため、他局より2週早く最終回が放送された[4]。
- ^ この6か月間(1987年10月 - 1988年3月)はラジオのレギュラー番組の場を文化放送に移して、『15はドキドキ ピンクコング』内で放送されていた『渡辺美奈代 ピンクのケチャップ』を担当していた。
- ^ 当時シングルCDは8センチCDで発売されていたのが通常であり、このアダプターとは8センチCDをはめて普通のコンパクトディスク(12センチCD)のサイズにして使用するというものである。
出典
[編集]- ^ ラジオ新番組速報版(三才ブックス)1988年春号から1989年秋号までの各号を参考
- ^ a b 月刊ラジオパラダイス 1990年2月号 17頁「ニッポン放送『渡辺美奈代 恋はちょっぴり』12/13さよならイベント」
- ^ 中日新聞 1989年12月31日付ラジオ欄より。
- ^ 朝日新聞、毎日新聞、読売新聞など各紙 1989年12月17日・12月24日・12月31日各日ラジオ欄より
- ^ a b DUNK 1988年6月号 81頁
- ^ a b c 月刊ラジオパラダイス 1989年2月号「<特集>アイドルラジオ宣言!」10頁
- ^ a b c 月刊ラジオパラダイス 1989年12月号「<特集>なんてったってアイドルラジオ」21頁
- ^ a b c d 月刊ラジオパラダイス 1989年11月号 69頁「R・P NEWSパレット アイドルプログラム・ニュース」
- ^ a b 月刊ラジオパラダイス 1990年1月号 67頁「R・P NEWSパレット アイドルプログラム・ニュース」
- ^ 月刊ラジオパラダイス 1988年5月号「春のラジオ改編大特集」6頁
- ^ a b c 月刊ラジオパラダイス 1989年8月号 60頁「R・P NEWSパレット アイドルプログラム・ニュース」
- ^ 月刊ラジオパラダイス 1989年12月号 67頁「R・P NEWSパレット アイドルプログラム・ニュース」