渡辺喜太郎
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わたなべ きたろう 渡辺 喜太郎 | |
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生誕 |
1934年2月20日(90歳) 東京・深川 |
国籍 | 日本 |
職業 | 実業家 |
渡辺 喜太郎(わたなべ きたろう、1934年(昭和9年)2月20日 - )は、日本の実業家。麻布自動車グループ会長[1]。
人物・来歴
[編集]東京大空襲で両親と兄弟5人を一度に失い、新潟に学童疎開していた渡辺と姉が生き残った。栃木県足利市の母方の親戚に引き取られた渡辺は、12歳で織物工場に丁稚奉公に出された[3]。その後、上京し22歳のとき、麻布にオートバイ販売の麻布小型自動車を開業した[4][5]。
1964年(昭和39年)に輸入車販売の麻布自動車産業を設立。69年ごろから不動産業に本格進出し、78年に社名を麻布建物に変更した[6]。会社のある麻布周辺の土地に的を絞って買い集めた結果、バブルの時期には莫大な資産価値を生んだ[7]。メインバンクの三井信託銀行社長の中島健は「私らの世代は、戦災孤児に弱い」と、戦災孤児から這い上がってきた渡辺をことのほか可愛がった[7]。
最盛期にはハワイに6つの高級ホテル、港区に165か所の土地と建物、栃木県にゴルフ場「喜連川カントリー倶楽部」を所有。資産は55億ドルを数え、1990年(平成2年)にはフォーブス誌の世界の長者番付で6位にランキングされた[8][9]。しかしバブル崩壊後、麻布建物の業績は急速に悪化し、06年に倒産。負債総額は5,648億円にのぼった。渡辺も資産隠しのための強制執行妨害容疑で逮捕された[1]。
出典
[編集]- ^ a b “渡辺喜太郎とバブル四天王、狂乱の1980年代”. 日経ビジネス (2019年2月8日). 2022年6月11日閲覧。
- ^ “【ジェットコースター人生】11歳で戦災孤児となった私は集団的自衛権に賛成する 渡辺喜太郎氏 (2_2ページ) - 政治・社会 - ZAKZAK”. 2018年12月20日閲覧。
- ^ 有森隆、グループK 2006, p. 270.
- ^ “【ジェットコースター人生】11歳で戦災孤児となった私は集団的自衛権に賛成する 渡辺喜太郎氏 (1_2ページ) - 政治・社会 - ZAKZAK”. 2018年12月20日閲覧。
- ^ “まぐスペインタビュー 渡辺喜太郎さん - まぐまぐ!”. 2018年12月20日閲覧。
- ^ “2007年(平成19年)1-12月度こうして倒産した・・・ _ 東京商工リサーチ”. 2018年12月20日閲覧。
- ^ a b 有森隆、グループK 2006, p. 271.
- ^ “麻布自動車株式会社 ― ご挨拶”. 2018年12月20日閲覧。
- ^ “【ジェットコースター人生】堤義明氏に名刺も挨拶も無視された… - 政治・社会 - ZAKZAK”. 2018年12月20日閲覧。
著書
[編集]- 『渡辺喜太郎一代記 人の絆が逆境を乗り越える』ファーストプレス、2011年6月。ISBN 978-4904336571
- 『人との出会いがカネを生む! ワルの交遊術50』実業之日本社、 2013年11月。ISBN 978-4408215150
- 『成功をつかみとる「逆張り」という生き方』青志社、2018年9月。ISBN 978-4865900705
参考文献
[編集]- 有森隆、グループK『秘史「乗っ取り屋」暗黒の経済戦争』だいわ文庫、2006年2月。ISBN 978-4479300106。