渡辺千代三郎
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渡辺 千代三郎(渡邊、わたなべ ちよさぶろう、1865年9月20日(慶応元年8月1日[1][2])- 1936年(昭和11年)4月5日[1][3][4][5])は、明治から昭和前期の実業家、政治家。西成鉄道社長、大阪瓦斯社長、南海鉄道社長、貴族院勅選議員。
経歴
[編集]現在の岐阜県[3][4]で渡辺新次郎の二男として生まれる[1][2]。幼少より学問を好み[1][2]、1889年(明治22年)7月、帝国大学法科大学法津学科を卒業した[1][2][3][4][5]。卒業後、代言人(弁護士)の登録をしたが[1]、1891年(明治24年)日本銀行に入行した[1][3][5]。北海道支店長に昇進したが[1][5]、その後辞職し、帝国商業銀行副支配人となる[3][4][5]。
その後、大阪に移り北浜銀行頭取岩下清周の招きで同行副支配人となり、さらに支配人に就任した[1]。西成鉄道社長、大阪瓦斯社長、南海鉄道社長、大阪株式取引所理事、帝国瓦斯協会(現日本ガス協会)会長なども務めた[1][3][4][5]。
1927年(昭和2年)4月18日、貴族院勅選議員に任じられ[1][3][4][5][6]、同成会に属して死去するまで在任した[5]。この間、川崎造船所の経営危機、近江銀行整理の対応に尽力[1]。1931年(昭和6年)1月、商工大臣官邸で脳溢血を発症し、以後、療養を続けたが、1936年4月、熱海温泉桃山和光園の別荘で死去した[1]。
著作
[編集]- 志立鉄次郎との共著『非金貨論』桂虎次郎、1897年。
- 『欧米取引所』渡辺千代三郎、1902年。
- 『金谷詩稿』高梨光司、1939年。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『20世紀日本人名事典 そ-わ』日外アソシエーツ、2004年。
- 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 実業之世界社編輯局編『財界物故傑物伝』下巻、実業之世界社、1936年。
- 東洋新報社編『大正人名辞典 第3版』東洋新報社、1917年。