渡波町
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わたのはちょう 渡波町 | |
---|---|
廃止日 | 1959年5月15日 |
廃止理由 |
編入合併 渡波町 → 石巻市 |
現在の自治体 | 石巻市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 宮城県 |
郡 | 牡鹿郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 14.00 km2. |
総人口 |
13,527人 (国勢調査、1955年10月1日) |
隣接自治体 |
牡鹿郡:稲井町、女川町 石巻市 |
渡波町役場 | |
所在地 | 宮城県牡鹿郡渡波町 |
座標 | 北緯38度25分01秒 東経141度22分01秒 / 北緯38.41706度 東経141.36692度座標: 北緯38度25分01秒 東経141度22分01秒 / 北緯38.41706度 東経141.36692度 |
ウィキプロジェクト |
渡波町(わたのはちょう)は、昭和34年(1959年)まで宮城県牡鹿郡北部にあった町。
歴史
[編集]渡波の由来
[編集]渡波という名称はアイヌ語で「入江を渡る」という意の「ワッタリ」が訛ったものが由来とされている[1]。
沿革
[編集]→「渡波」も参照
行政
[編集]- 歴代町長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 山屋薫 | 明治22年(1889年)4月23日 | 明治27年(1894年)9月7日 | |
2 | 佐々城謙益 | 明治27年(1894年)10月12日 | 明治31年(1898年)10月11日 | |
3 | 内海広吉 | 明治31年(1898年)10月24日 | 明治32年(1899年)8月26日 | |
4 | 菅野博吉 | 明治32年(1899年)5月4日 | 明治37年(1904年)5月3日 | |
5 | 内海五郎兵衛 | 明治37年(1904年)7月15日 | 明治41年(1908年)7月14日 | |
6 | 菊地明夫 | 明治41年(1908年)7月17日 | 大正2年(1923年)11月1日 | |
7 | 千葉長治 | 大正3年(1914年)4月15日 | 大正10年(1921年)6月11日 | |
8 | 菊地明夫 | 大正11年(1922年)2月14日 | 昭和16年(1941年)9月22日 | 再任 |
9 | 木村虎治 | 昭和16年(1941年)10月3日 | 昭和20年(1945年)10月2日 | |
10 | 末永正 | 昭和20年(1945年)10月20日 | 昭和21年(1946年)12月24日 | |
11 | 千葉胤治 | 昭和22年(1947年)4月5日 | 昭和23年(1948年)6月9日 | |
12 | 馬場勁介 | 昭和23年(1948年)7月16日 | 昭和31年(1956年)7月6日 | |
13 | 三浦今治 | 昭和31年(1956年)7月7日 | 昭和34年(1959年)5月14日 | 合併前最後の町長 |
地域
[編集]教育
[編集]官公署
[編集]交通
[編集]鉄道
[編集]脚注
[編集]- ^ 『日本歴史地名大系第四巻 宮城県の地理』平凡社1987年7月10日発行 629頁
参考文献
[編集]- 『渡波町史』(宮城県牡鹿郡渡波町、1959)