渋沢芳昭
表示
この記事の主題はウィキペディアにおける人物の特筆性の基準を満たしていないおそれがあります。 (2024年3月) |
しぶさわ よしあき 渋沢 芳昭 (澁澤 芳昭) | |
---|---|
生誕 |
1929年9月12日(95歳) 大日本帝国・東京府東京市(現・東京都) |
職業 |
実業家 銀行員 著述家 セントルイス日本会会長(1998年-2018年) |
配偶者 | あり |
子供 | 長男・渋沢健 |
親 |
父・渋沢智雄 母・渋沢節子 |
親戚 |
曾祖父:渋沢栄一 曾祖父:橋本実梁 祖父:渋沢篤二 伯父:渋沢敬三 伯父:渋沢信雄 従兄:渋沢雅英 従弟:渋沢裕 従兄違:渋沢田鶴子 義弟:山本正 (日本国際交流センター理事長) |
栄誉 | 旭日双光章(2008年) |
渋沢 芳昭(しぶさわ よしあき、旧字体:澁澤 芳昭、1929年〈昭和4年〉9月12日[1] - )は、日本の実業家、著述家、セントルイス日本会元会長(第7代-10代)[2][3][4]。曽祖父は渋沢栄一、祖父は渋沢篤二、父は渋沢智雄。長男に実業家の渋澤健。従兄弟に渋沢雅英、渋沢裕、渋沢彰。
経歴
[編集]1929年、子爵・渋沢栄一の孫・智雄(実業家)と妻節子の長男として誕生する。芳昭が生まれる前年の1928年に父の智雄が分家していたため、幼少期は分家の跡取りとして育てられたという。
戦後間もない1947年4月に父の智雄を亡くす。以降は一家の大黒柱として懸命に働いたという。1956年、東京外国語大学卒業[5]。
長男・健が誕生した後に仕事の都合により、一家でアメリカに転勤したため、長男健は日本の大学ではなくアメリカの大学で学んだ。
また、実業家として活動する傍ら1998年から2018年まで20年に渡ってセントルイス日本会会長(第7代、8代、9代、10代会長)を務め、2008年には旭日双光章を受章している。
家族
[編集]- 渋沢家
- 母・節子(中村勇三郎の姉)
- 弟・芳則
- 弟・芳純
- 妹・百合子
- 妹・加代子
- 長男・健(1961年 - )
- 親戚
系図
[編集]→「渋沢氏 § 系図」を参照
著書
[編集]- 「銀行員の英会話」(1964年)。
脚注
[編集]- ^ 『会社ガイドブック 1972 下巻』(毎日新聞社、1971年)
- ^ 『人事興信録 第12版 上』シ51頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年12月31日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第13版 上』シ47頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年12月31日閲覧。
- ^ “閨閥学-偉人たちの家系図・子孫・経歴- 婚姻により構築される一族の繋がり 渋沢家(渋沢栄一・渋沢正雄・渋沢武之助の家系図・子孫)”. 2022年12月31日閲覧。
- ^ https://dl.ndl.go.jp/pid/11915229/1/908