清水資治
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清水資治 しみず すけはる | |
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生年月日 | 1860年7月18日 |
没年月日 | 1923年4月29日(62歳没) |
出身校 | 長門萩中学巴城学舎卒業 |
所属政党 | 公正会 |
配偶者 | 清水スミ |
在任期間 | 1904年7月10日 - 1923年4月29日 |
清水 資治(しみず すけはる、1860年7月18日(万延元年6月1日[1][注 1])- 1923年(大正12年)4月29日[2])は、明治から大正期の政治家、華族。貴族院男爵議員。旧名・熊谷直金[3]。
経歴
[編集]長州藩士・熊谷太郎右衛門(直方)の二男として生まれる[1][3][4]。1876年(明治9年)長門萩中学巴城学舎を卒業[2]。1880年(明治13年)山口県衛生課嘱託となる[2]。その後、公爵毛利家出納監理兼記録事務担当者を務めた[2]。
旧長州藩家老清水家当主・清水スミ(清水親春三女)の入夫となり、1892年(明治25年)2月10日に家督を継承[1][4]。1900年(明治33年)5月9日、親春の戊辰戦争の功により男爵を叙爵した[1][3][4][5]。
1904年(明治37年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[6][7]、公正会に所属して活動し、死去するまで3期在任した[2]。
親族
[編集]- 清水家歴代当主(親春以降)[1]
- 親春
- 親知(親春の養子)
- 親春(再承)
- 為之進(親春の子、1859年 - 1880年)
- 民之助(親春の子、為之進の弟、1865年 - 1886年)
- スミ(妻、親春の三女、1872年 - 1946年)
- 資治
- 博春(資治の養子、男爵、伊藤博邦二男、1901年 - 1931年)
- 康春(博春の子、男爵)
- 男(だん、清水宗知家より養子)
- 家族
- 長女:珠子(中島忠行夫人)[1]
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『大日本華族大鑑』260頁では、万延元年6月30日。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 筒井住蓮編『大日本華族大鑑』都通信社、1911年。
- 人事興信所編『人事興信録 6版』人事興信所、1921年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
男爵 (長州藩家老)清水家初代 1900年 - 1923年 |
次代 清水博春 |