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清水 九郎兵衛(しみず くろうべえ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将[1]。美濃斎藤氏の家臣。加治田衆の一人。
美濃国加治田出身。加治田城主・佐藤忠能に仕え、斎藤利治、利堯の旗本・家臣として仕えた。
永禄8年(1565年)の堂洞合戦、関・加治田合戦に続けて参戦[2]。
天正10年(1582年)の加治田・兼山合戦には、斎藤利堯本陣の旗本として本陣を守備した[3]
- ^ 富加町史 198頁 「加治田主屈強三十八騎」
- ^ 「屈強の諸将三八騎の一人」『富加町史』下巻、196頁
- ^ 『富加町史』下巻通史編、238頁