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清仁親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
清仁親王
(きよひとしんのう)
続柄 第65代花山天皇の第二皇子

全名 (きよひと)
身位 親王四品
敬称 殿下
出生 不詳
日本の旗 日本山城国
死去 長元3年7月6日1030年8月7日
日本の旗 日本・山城国
配偶者 源頼房の娘
  不詳
子女 延清王[1]
兼文王
永子女王
信子女王
康資王
父親 花山天皇(第65代天皇
母親 中務(平祐之の娘)
役職 弾正尹
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清仁親王(きよひとしんのう、生年不詳 - 長元3年7月6日1030年8月7日))は、平安時代中期皇族花山天皇の第二皇子[2]官位四品弾正尹

経歴

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誕生時には父の花山法皇は既に出家しており、母の中務は出自が低かった。更に花山法皇は中務の実娘の平子も同時に寵愛して皇子昭登親王を儲けるなど複雑な事情があったために、異母兄の昭登親王ともども祖父冷泉上皇の子(第5・第6皇子)として育てられた。このため世間では清仁親王を「親腹御子」、昭登親王を「女腹御子」と呼んだと伝わる。

一条朝寛弘元年(1004年)弟の昭登とともに親王宣下を受けた。時の執政であった左大臣藤原道長は複雑な背景を有する清仁・昭登への親王宣下に消極的であったが、花山法皇の意向を受けてやむなく従ったとされる。

寛弘8年(1011年)8月に藤原実資加冠によって昭登親王とともに元服[3]、9月には四品に叙せられる。同年10月の三条天皇即位式では左の擬侍従に昭登親王、右の擬侍従に清仁親王が任命されたが[4]、結局清仁親王が左の擬侍従を務めた[5]。なお、長和5年(1016年)に行われた後一条天皇の即位式では、左方の侍従を昭登親王が、右方の侍従を清仁親王が務めている[6]

その後、弾正尹を務めるが、長元元年(1028年)に出家し、長元3年(1030年)7月6日薨去した(『小記目録』)。


官歴

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系譜

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※ 注記のないものは『尊卑分脈』による。

脚注

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  1. ^ a b 前田本『日本帝皇系図』附載「伯系図」
  2. ^ 最も信憑性が高い『日本紀略』寛弘元年(1004)五月四日条に「以冷泉院皇子昭登・清仁為親王。実華山院御出家之後産生也」とある。花山法皇の強い希望で宇多法皇の妃藤原褒子が産んだ雅明と行明両親王の場合(それぞれ、長兄醍醐天皇の第十と第十二皇子として出養し、命名も醍醐皇子の「明」で統一した上で親王宣下がなされた)に似せて、祖父で在俗の冷泉上皇の子として親王宣下されるよう、時の執政藤原道長が裁可した(『御堂関白記』では寛弘元年(1004)4月25日に名字を一条天皇に奏上、5月2日に親王宣旨)。受領階級の母を持ち平安初期なら親王宣下のハンディとなりかねない出自にもかかわらずである。『日本紀略』の記述順でも明らかなとおり、「中務が腹の一の御子、女の腹の御子二宮を(中略)、親腹の御子をば(冷泉院の)五の宮、女腹の御子をば(同じく)六の宮と」は『栄花物語』初花巻が出生順を逆にした誤記か創作が元になる。ところどころ物語性を高める創作がみられるのは元々栄花物語の特色であるが、その宮仕え女房の手になる歴史物語と異なり、男性貴族が南北朝期に編纂した『本朝皇胤紹運録』『尊卑分脈』では、清仁親王(弾正尹、従四位上、母昭登親王祖母、若狭守平祐之女、冷泉院擬子。)、昭登親王(四品、中務卿、母御匣殿別当平子(「女平子」の「女」、が脱か)。若狭守平祐忠女。)の順に系譜に載りながら、注の記すところでは清仁親王の方が祖母から産まれている。早くに完成し書写された『権記』寛弘八年九月十日条には「遇御匣殿。御匣殿是中務也、六親王母、於五親王祖母、又継母也」と出生順および母子関係のポイントは押さえている。しかし鎌倉期を遡る写本の伏見宮本が現存する『権記』でさえも「御匣殿別当」と「中務」を同人と混同した取り違えは、或いは14世紀に出来た『尊卑分脈』が昭登親王の母「御匣殿別当女平子」を単に「御匣殿別当平子」とした脱字に影響したかとも思われる。以上の見解は倉田実の論文「養子になった皇子たち: 王朝物語の背景」2004年より引用した。
  3. ^ 小右記』寛弘8年8月23日条
  4. ^ 権記』・『小右記』寛弘8年(1011年)9月10日条
  5. ^ 『権記』寛弘8年10月16日条
  6. ^ 『小右記』長和5年2月7日条
  7. ^ 御堂関白記
  8. ^ a b c 小右記
  9. ^ 尊卑分脈
  10. ^ 日本紀略
  11. ^ 『御室相承記』2「長和入道親王」(赤坂[2015: 36])

参考文献

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  • 尊卑分脈 第三篇』吉川弘文館、1987年
  • 赤坂恒明「冷泉源氏・花山王氏考 : 伯家成立前史」『埼玉学園大学紀要. 人間学部篇』第15巻、埼玉学園大学、2015年、253-268頁、ISSN 1347-0515 
  • 倉田実「養子になった皇子たち: 王朝物語の背景」、大妻女子大学、2004年。