添田弼
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添田 弼(そえだ たすく、嘉永元年4月4日〈1848年5月6日[1]〉 - 1916年〈大正5年〉2月29日[2])は、明治時代の日本の政治家、実業家。函館区長。
経歴
[編集]水戸藩士藤谷春栄の次男として生まれ、文久3年(1863年)7月、添田秀雄の養子となり家督を相続する[1]。1874年(明治7年)茨城県等外出仕となり、工部省、鹿児島県属、沖縄県属を経て、1884年(明治17年)函館県属となり、北海道庁設置とともに北海道庁属となる[3]。この間、鹿児島県属のとき、西南戦争の戦地を視察した[3]。函館区長や道内各地の郡長を歴任し、1897年(明治30年)退官[3]。実業界に入り、小樽銀行取締役、北海道銀行頭取、北海道拓殖銀行・小樽電気各監査役、小樽商業会議所特別議員などを歴任した[1][3]。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。
- 橘文七 編『北海道史人名辞典 第2巻』北海道文化資料保存協会、1955年 。