深見城
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深見城 (神奈川県) | |
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城郭構造 | 山城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 不明 |
築城年 | 14世紀末頃?、1452年(享徳4年)? |
主な城主 | 山田伊賀守経光? |
廃城年 | 16世紀? |
遺構 | 曲輪、二重堀、土塁、虎口 |
指定文化財 | 未指定 |
位置 | 北緯35度29分36.8秒 東経139度28分07.7秒 / 北緯35.493556度 東経139.468806度座標: 北緯35度29分36.8秒 東経139度28分07.7秒 / 北緯35.493556度 東経139.468806度 |
地図 |
深見城(ふかみじょう)は、神奈川県大和市深見字城ヶ岡にあった日本の城。
概要
[編集]大和市の北東、横浜市瀬谷区との市境となっている境川中流の右岸台地縁辺部に立地する、南北約100メートル、東西約150メートルほどの規模の中世城郭。1984年(昭和59年)~86(昭和61年)[1]、1999年(平成11年)~2000年(平成12年)[2]の発掘調査の結果、堀、土塁、虎口、土橋、土坑、井戸などの遺構や、輸入青磁や国産陶器、銭貨などの遺物が出土した。築城・廃城期は不明であったが、発掘調査によって14世紀末頃から15世紀中頃と、16世紀代の2時期の利用が考えられるという[3]。享徳4年(1452年)という説もある。城主については『新編武蔵風土記稿』によれば、隣接する瀬谷の領主「山田伊賀守経光」とする説がある[3]。
現在、城の西側が下水処理場になっている。また南西側は「城山史跡公園」となっている。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 大和市教育委員会『大和市文化財調査報告書第30集 深見城跡』1988年
- 大和市教育委員会・城山史跡公園内深見城発掘調査団『神奈川県大和市大和深見城跡発掘調査報告書』2001年
- 宮坂淳一・松葉崇「神奈川の中世城館(4)-中世プロジェクトチーム-」『神奈川の考古学-かながわ考古学財団研究紀要17-』公益財団法人かながわ考古学財団 2012年 pp.59-68
- 藤木久志「戦国時代の戦を生きる-深見城と村の城」『大和市史研究』第39号 2015年 pp.105-133.