深沢史朗
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深沢 史朗(ふかざわ しろう 1907年2月26日 - 1978年4月20日)は、日本の画家、版画家。あっけらかんとしたエロスと力強さを備えた作品を送り出した。
経歴
[編集]1907年、栃木県武茂村(現那珂川町)に生まれる。1925年、画家を志して川端画学校に入学、1926年からは梅原龍三郎の弟子となり油彩画を学ぶ。晩年の1959年には新樹会に参加して油彩画を発表するが、高い評価を得るようになったのは1965年に版画の発表してからとなった。1966年の第5回東京国際版画ビエンナーレ展で『生命の詩その1』が入選、1970年にポーランドのクラクフ国際版画ピエンナーレ展で『Time Ⅸ』がポズナン市賞を得る実績を残したほか、海外の国際展に多数の作品を出品した[1][2]。
1978年4月20日、脳髄膜炎のため東京都豊島区の鬼子母神病院にて死去。71歳[3]。
脚注
[編集]- ^ “企画展 生誕100年記念 “自由”を生きた画家 深沢史朗展”. 那珂川町馬頭広重美術館 (2006年). 2021年5月19日閲覧。
- ^ “深沢史朗”. 東京文化財研究所 (2014年). 2021年5月19日閲覧。
- ^ 訃報欄 深沢史朗(ふかざわしろう=版画家)『朝日新聞』1978年(昭和53年)4月21日夕刊、3版、11面