深山の乙女 (1919年の映画)
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深山の乙女 | |
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Miyama no otome | |
監督 | 帰山教正 |
脚本 | 帰山教正 |
原作 | 水沢武彦 |
出演者 |
村田実 花柳はるみ |
撮影 | 帰山教正 |
編集 | 帰山教正 |
配給 | 天然色活動写真 |
公開 | 1919年9月13日 |
上映時間 | 74分(6巻[1]) |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
製作費 | 500円 |
『深山の乙女』(みやまのおとめ)は、1918年(大正7年)製作、1919年(大正8年)9月13日公開の日本映画である。配給は天然色活動写真(天活)。同日公開の『生の輝き』と並び、女優が登場する最初の日本映画の1作である。
日本映画の革新(純映画劇運動)を唱えた帰山教正が、『生の輝き』に続いて製作した監督第2作で、水沢武彦の名でシナリオを書き、監督と撮影を兼任。撮影助手は青島順一郎、俳優は前作に引き続いて花柳はるみ、村田実、近藤伊与吉、青山杉作を起用。1918年(大正7年)8月18日にこの6人の極小クルーで上高地のロケーション撮影を開始したが[1]、撮影開始直後に現像場火災の報が入り、撮影を急いで下山、『生の輝き』のネガ原版は焼けてしまったが、本社にプリントが1本だけ残っていたという[1]。同月29日から神奈川県・鵠沼で山中に見立てたロケを行った[1]。9月から3か月にわたる帰山の兵役による中断を経て、同年12月5日撮影再開、都内ロケを経て同月20日クランクアップした[1]。
1919年(大正8年)9月13日、本作が京橋の豊玉館で、『生の輝き』が六本木の麻布館で同日封切りされた[2][1]。
現在、東京国立近代美術館フィルムセンター、マツダ映画社ともに本作の上映用プリントを所蔵していない[3][4]。事実上、鑑賞することの不可能な作品である。
キャスト
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f 『日本映画発達史 I 活動写真時代』 、田中純一郎、中公文庫、1975年12月10日 ISBN 4122002850, p.286-289.
- ^ 深山の乙女、日本映画データベース、2010年7月5日閲覧。
- ^ 所蔵映画フィルム検索システム、東京国立近代美術館フィルムセンター、2010年7月5日閲覧。
- ^ 主な所蔵リスト 劇映画=邦画篇、マツダ映画社、2010年7月5日閲覧。