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海会寺 (湘潭市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
海会寺
海会寺の山門
海会寺 (湘潭市)の位置(湖南省内)
海会寺 (湘潭市)
湖南省における位置
海会寺 (湘潭市)の位置(中華人民共和国内)
海会寺 (湘潭市)
海会寺 (湘潭市) (中華人民共和国)
基本情報
所在地 中華人民共和国の旗 中国 湖南省湘潭市雨湖区
座標 北緯27度51分35秒 東経112度54分38秒 / 北緯27.859727度 東経112.910661度 / 27.859727; 112.910661座標: 北緯27度51分35秒 東経112度54分38秒 / 北緯27.859727度 東経112.910661度 / 27.859727; 112.910661
宗教 仏教
宗派 禅宗
建設
様式 中国建築
創設者 釈璞忠
創設 元(1271年–1368年)
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海会寺 (湘潭市)
各種表記
繁体字 海會寺
簡体字 海会寺
拼音 Hăihuì Sì
日本語漢音読み かいえじ
英文 Haihui Temple
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海会寺(かいえじ)は、中華人民共和国湖南省湘潭市雨湖区大湖街にある仏教寺院[1][2]

歴史

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嘉慶年間の『湘潭県志』によると、海会寺は元代に建立され、開山祖師は釈璞忠。明代末期に僧侶の釈宗源が寺院を再建した[1][2]

1912年(民国元年)、寺院は僧学堂を開催した[2]。1917年(民国5年)、「海会小学」と改称[2]。1930年代、釈霊悟は寺院の修繕を主宰し、釈敬安は寺院に住んでいた[1][2]

1952年に、尼の釈蓮蔵・釈紹宗は「僧尼生産自主救工場」を設立し、その後「紅旗綿織工場」と改名しました[2]。1956年に、全寺の尼は湘潭市織布供銷生産合作社に加入しました[2]。海会織布生産合作社に正式に改名した[2]。1959年、また「大信線帯工場」と改名した[2]。1962年、湖南省人民政府は仏寺を省級文物保護単位に認定した[1]。1964年に再度「湘潭市線帯工場」と改名した[2]。1966年、毛沢東文化大革命を発動し、寺院の宗教活動は中止に追い込まれた。紅衛兵により對寺廟などの宗教施設が徹底的に破壊された[2]。寺内のすべての文化財が消えた。湘潭市線帯工場は「湘潭市絲綢工場」と名前を変えました[2]中国共産党第十一期中央委員会第三回全体会議の後、宗教信仰の自由政策が実行され、尼の釈紹宗が弟子を率いて寺を再建した[2]

伽藍

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山門(2008年建)、天王殿(1991年)、大雄宝殿(1995年)、蔵経楼(2007年)、観音殿(1999年)、客堂(1998年)、斎堂(1998年)。

ギャラリー

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天王殿
海会寺の薬師仏、日光菩薩、月光菩薩
海会寺大雄宝殿の釈迦摩尼、迦葉仏、阿難
海会寺の地蔵菩薩
海会寺の関羽

脚注

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  1. ^ a b c d “湘潭海会寺” (中国語). 湖南仏教網. (2016年4月9日). http://www.fjhnw.com/show.asp?id=1349 2021年7月4日閲覧。 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m “湘潭海会寺鬧中取静 歴経滄桑却屹立不倒” (中国語). 湘潭頭条. (2017年1月11日). https://www.sohu.com/a/124008105_393501 2021年7月4日閲覧。