海人魚
海人魚(かいにんぎょ)は、中国伝説の人魚の一種。美麗な女性に似て手はあるが足はない、とされるが、じっさいは雄雌おり、生殖器があり、人間と普通に性交もおこなえる、沿岸地方では寡夫や寡婦がこれを捕らえて養育するのだという。
原文記述
[編集]洽聞記
[編集]古くは唐(618 - 907)・鄭遂[1]『洽聞記』に記述がみられる。海人魚は人間に近く、臨海の鰥(やもめ)たちは、"これを養って交わりをもった"(性交した)のだとされる[1]。原文と訳を以下に示す。
北宋・『太平広記』(977年-978年)巻464に、出典は『洽聞記』だと断ったうえで、以下の通り記述がある:
海人魚,東海有之,大者長五六尺,状如人,眉目、口鼻、手爪、頭皆為美麗女子,無不具足。皮肉白如玉,無鱗,有細毛,五色輕軟,長一二寸。髪如馬尾,長五六尺。陰形與丈夫女子無異,臨海鰥寡多取得,養之於池沼。交合之際,與人無異,亦不傷人。 |
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—『太平廣記』卷第464「水族一」、《洽聞記》[2] | —出典:洽聞記[3][4] |
誠斎雑記
[編集]元・林坤『誠斎雑記』にもほぼ同様の記述がある。
海人魚,状如人,眉目口鼻手足皆為美麗女子,無不俱足。皮肉白如玉,灌少酒便如桃花,髪如馬尾,長五六尺,陰形與丈夫、女子無異。臨海鰥寡多取養池沼,交合之際,小不異人。 |
海人魚は人のような外見を持ち、眉、目、口、鼻、手足はみな美麗な女子のそれである。足は具えていない。肌は玉のように白く、少しばかりの酒で桃の花のように色づく。薄毛は馬の尾のようで、体長5-6尺。生殖器は人の男女と異なるところはない。臨海の寡夫はこれを多く捕らえ池沼にて養う。性交の際も人と異ならない。 |
—『誠齋雜記』卷上[5] | —下線部分等、松岡正子論文を参照[1] |
同様文は明代の『華夷考(華夷花木鳥獣珍玩考)』にもみつかり[6]、小野蘭山も引いている[9]。
類例
[編集]徂異記
[編集]『徂異記』(宋代)[注 1]に類例(高麗での目撃例)があり[1]、類書(百科事典)に引かれている[10]。同じ類書の別箇所で引かれる詳述文を以下に示すが、そこでは典拠が古代の『甄異記』(晋代)であると[注 2][11]間違えている。查道は宋代の人なのでありえないと指摘される[13][注 3]:
《甄異記》[《徂異記》が正しい][13]:待制査道奉使高麗,晚泊一山而止,望見沙中有一婦人,紅裳雙袒,髻鬟紛亂,肘後微有紅鬣。査命水工以篙投於水中,勿令傷。婦人得水,偃仰復身,望査拜手,感戀而沒。水工曰:「某在海上,未曾見此何物。」査曰:「此人魚也,能與人姦處,水族人性也。」 |
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—『欽定古今圖書集成』博物彙編 禽蟲典 第150卷 異魚部紀事[11] | —吉岡の読み下しを参照[15] |
「人魚」とあり「海人魚」という名称は明言されない[注 4][注 5]
また、下半身が魚であると明言はしていないので、江戸期の本草学者蘭山(上述)は、「まったく人の形なる」例として挙げているが[9]、本邦の聖徳太子伝の注釈などでは『徂異記』の読み下しに「腰より下は皆魚なり」という添文をおこなっているようである[18][20]。
「肘[後]の微に紅鬣有り」と読み下されるが[15]、"両肘の後脇に至りて、赤紅の鬣あり"の意訳がみえるので [20][21]、長い鬣(たてがみ)が肘まで伸びているという意に解せる。しかし「肘の後ろに紅い鬣(ひれ)があった」という訳出もある[17][25]。
陳悝と江神
[編集]また、上述の引用話の兼ね合いで所収されている次のような説話が、『太平広記』巻295引『洽聞記』にある[26][27]。同じ話は祖台之『志怪』(『太平御覧』巻68引)にもみつかる[27][28]。
隆安年間(東晋、397年-401年)、丹徒(揚子江の河口)の陳悝という漁民が
ただ当例の「江神」は即ち長江の神[27](揚子江の女神)なので、「海人魚」の形容があてはまるとはいいがたい。
海錯図
[編集]清代の聶璜『海錯図』という図譜の第一冊に人魚の図が含まれるが、これは「海人魚」の例であろうと学術論文にみえる[29]。異名を「海人」とするとあるので[30][注 7]、海の人魚の一種とみなされることは窮知できよう。
人魚其長如人,肉黒髪黄,手足眉目口鼻皆具,陰陽亦與男女同,惟背有翅,紅色,後有短尾及胼指與人稱異耳。粤人柳某,曾為予圖,予未之信。及考《職方外紀》,則稱此魚為海人,《正字通》作魜,云即𩷍[鰕]魚,其説與所圖無異,因信而録之。此魚多産廣東大魚山,老萬山海洋,人得之,亦能着衣飲食,但不能言,惟笑而已。攜至大魚山,沒入水去。郭璞有《人魚贊》。《廣東新語》云,海中有大風雨時,人魚乃騎大魚,隨波往來,見者驚怪。火長有祝云:「毋逢海女,毋見人魚」。 |
(日本語抄訳)人魚、その長さは人程で、肉黒く髪黄色く、手足・眉目・口鼻もみなあり、性別も人間の男女と同様である。背には紅色の翅(ひれ)があり、[後方には短い尾がついている](中略)[注 8]。...広東の柳某がかつて画に描いてくれたが、私は信じなかった。されど『職方外紀』では海人とし、『正字通』は「魜」とつくり、すなわち「𩷍魚」(オオサンショウウオ)である。説かれたままに図とし、異なることなく忠実に録したと信ず。広東の大魚と老萬という島のあたりの海に他産する。人のように衣服を着、飲食できるが、言葉は発せず、ただ笑うのみである。大魚島に連行されたが、水に入れられなくして死んだ。郭璞の詩『人魚贊』あり。『広東新語』いわく、海で大風雨あれば、それは人魚が大魚に騎乗して波を行き来しているゆえである(中略)火長(船長か航海士)が験担ぎにいうせりふが「海女には逢うまい、人魚を見るまい」である[注 9]。 |
—『海錯圖』第一冊[29][30] | —英訳[29]より重訳 |
海和尚
[編集]時代が下ると、海の人魚は海神の一種とみなされ、 特に粤の地(広東省地方)では、船に祟りを与える不吉なものと考えられた[31]。
屈大均(1630年-1696年)『広東新語』には(上の『海錯図』でも異文で引かれているが)、次のような記述がある:
又大風雨時,有海怪被髪紅面,乘魚而往來。乘魚者亦魚也,謂之人魚。人魚雄者為海和尚,雌者為海女,能為舶祟。火長有祝云:「毋逢海女,毋見人魚。」人魚之種族有盧亭者,新安大魚山與南亭竹沒老萬山多有之。其長如人,有牝牡,毛髪焦黄而短,眼睛亦貢,面黧黒,尾長寸許,見人則驚怖入水,往往隨波飄至,人以為怪,競逐之。 |
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—『広東新語』巻二二 | —吉岡論文、松岡論文を参照[32][15] |
また近世・清代の記録で、南の海上(広東地方)には、女性の姿の大魚が出現したとある(陸祚蕃『粤西偶記』[注 13])[1]。
盧亭
[編集]人魚の種族のなかに「盧亭」というものがある。新安の大魚山および南亭竹にもいるが、考萬山ほど多くはいない。体長は人と同程度。オスとメスがいる。短い毛髪はきつね色。眼は黄色いともいう。顔色は黒く尾は長く、一瞬でも人を見れば驚き怖れて水に入る。往々波に付き従い(現れ、現れると)疾風に至るため、人はこれを怪み、競って追い払う[34]。
注釈
[編集]- ^ 宋代の聶田 Nie Tian(撰)『徂異記』Cuyijiji。
- ^ 晋代の戴祚 Dai Zuo (撰)『甄異記』Zhenyiji 。『甄異傳』Zhenyizhuan 、『甄異志』Zhenyizhi、『甄異録』Zhenyilu とも呼ばれる。
- ^ 殊意癡『白河燕談』第2巻28(享保15年/1730年)では、この詳細文が出典不透明なまま写文されており[14]、以下に引く各論文(吉岡、日高)では詳述文をあくまで『徂異記』として扱っている[15]。
- ^ 藤澤 1925, pp. 38–39は:"「徂異記(そいき)」によると、『海人魚東海有之大者長五六尺』"として明言されると説くが、おそらく誤引用であろう(『徂異記』と称して『洽聞記』の部分を前半にくっつけた)。藤澤が典拠とした『白河燕談』は逆に『洽聞記』の後に『徂異記』詳述文を合成してしまった[14]。
- ^ 松岡 1982, p. 56も「東の海には」この人魚がいると付け加えるが、原文にはなく、あるいは藤澤論文などから引きずったのであろうか。『洽聞記』の「東海」は現代語中国語解釈すれば「東シナ海」だが、考証が必要であろう。『徂異記』は高麗の話なので東シナ海ではありえず、朝鮮・韓国で言う「東海」すなわち「日本海」は可能性の範疇にはいるだろう。
- ^ 『志怪』は「䇻」とつくる。
- ^ ジュリオ・アレーニ(漢名:艾儒略)『職方外紀』に「海人」とあるとする。ついで『正字通』は人魚を「魜」とつくり、すなわち「𩷍魚」と説く、としている。
- ^ 英訳されない部分があるが、置くこととする。
- ^ この『広東新語』から引かれる部分は、以下、§海和尚に関する『広東新語』の文章の一部である。"Wish not to meet a female from the sea /hainü 海女, not to see a Human fish/renyu'7 人魚"と英訳される[29]。
- ^ 海和尚 (台湾)は台湾の伝説に認められる。日本の海和尚と同定できるかは考察をみなければならない。また中国文献には体が亀のような「和尚魚」もみられる[33]。
- ^ 上述の異文では和尚魚の箇所は欠けているが、運祈願の文句の「海女 hainü」は"female from the sea"と意訳される[29]ことは上の注釈で触れた。日本の妖怪海女 (うみおんな)も参照。
- ^ 火長は船長か航海士(上述の同文)。
- ^ 1673年、進士
出典
[編集]- ^ a b c d e 松岡 1982, p. 56.
- ^ 「卷第464 海人魚」(英語)『太平廣記』1726年。ウィキソースより閲覧。
- ^ 井伏鱒二「落合の河童」『旅と伝説』第11号、三元社、1928年、36-39頁、NDLJP:1483478。; 『井伏鱒二全集』第一巻、筑摩書房、1996年、260頁所収。
- ^ 加藤徹「第3章 変身と幻獣: 人魚」『怪の漢文力: 中国古典の想像力』中央公論新社、2010年 。
- ^ “誠齋雜記 卷上”. 中國哲學書電子化計劃. 2020年6月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年6月24日閲覧。
- ^ 慎懋官「鳥獣考巻七 四十四裏」『華夷花木鳥獣珍玩考』1835年、44葉裏 。
- ^ 小野蘭山「䱱魚」『重修本草綱目啓蒙』 30巻、菱屋吉兵衛、1844年、13葉表–15葉表 。(国立図書館デジタルライブラリ版)
- ^ 九頭見 2006a, p. 65.
- ^ a b 小野蘭山『本草綱目啓蒙』[7][8]
- ^ 陳夢雷 編「博物彙編/禽蟲典/第144卷 䱱魚釋名」(英語)『欽定古今圖書集成』1726年。ウィキソースより閲覧。
- ^ a b 陳夢雷 編「異魚部紀事」(英語)『欽定古今圖書集成』1726年。ウィキソースより閲覧。
- ^ Zheng, Jinsheng; Kirk, Nalini; Buell, Paul D. et al., eds. (2018), Dictionary of the Ben Cao Gang Mu, Volume 3: Persons and Literary Sources, University of California Press, p. 87, ISBN 9780520291973
- ^ a b 『説郛 Shuofu』にもあり『甄異志 Zhen yi ji』を引いて査道 Zha Dao が "mermaid"と遭遇した説話を記載するが、"Cha Dao〔ママ〕 was actually a man of the Song dynasty, so this must be an error on part of the Shuo fu".[12]
- ^ a b 物集 1922, p. 38.
- ^ a b c d 吉岡 (1993), p. 39による日野 (1926), p. 170の漢文読み下し
- ^ 九頭見 2006a, p. 62.
- ^ a b 現代語訳『和漢三才図会』(東洋文庫471、平凡社)[16]。
- ^ 三重貞亮 編「太子 十六(第七十一 册):時に淡海国司啓して曰さく..の段」『舊事紀訓解』《下》明治聖徳記念学会、明世堂書店、1944年、298–300頁 。
- ^ 物集 1922, p. 39.
- ^ a b 『白河燕談』同[2]巻21の『徂異記』漢文の読み下し[?][19]。
- ^ 三重貞亮 1944, p. 299.
- ^ 寺島良安「人魚」『和漢三才図会 : 105巻首1巻尾1巻』《(全81冊中)第80冊》1712年、巻之49 魚類(江海有鱗)、20葉裏-21葉表 。
- ^ 鈴木訳 1930, p. 533.
- ^ 貝原益軒「人魚」『大和本草』《13之下》1708年 。
- ^ 寺島良安『和漢三才図会』の漢文原文に『徂異記』の略文が引用される。「紅鬣」にルビはない[22]。『本草綱目』にも引用があり、鈴木訳では「紅鬣(こうりょう)」となっている[23]。また貝原益軒『大和本草』にも引用がある[24]。
- ^ 「卷第295 陳悝」(英語)『太平廣記』1726年。ウィキソースより閲覧。
- ^ a b c d 富永一登「魯迅輯『古小説鉤沈』校釈―祖台之『志怪』―」『広島大学文学部紀要』第53巻、1993年12月10日、158–159頁、doi:10.15027/27621。
- ^ 「卷第068 潮水」(英語)『太平廣記』1726年。ウィキソースより閲覧。
- ^ a b c d e f Magnani 2022, p. 99.
- ^ a b 鄒振環「特稿. 《海錯圖》与中西知識之交流」『紫禁城』2017年3月、129–131。
- ^ 松岡 1982, pp. 57–58.
- ^ 松岡 1982, p. 57.
- ^ 王圻; 王思義, eds (1609). “鳥獸六巻 鱗介類 和尚魚”. 三才圖會 106卷中第94卷. N. p.. pp. 第3葉裏。異なる版本に『三才圖會』第十三函 「鳥獸圖會 一巻至六巻」「鳥獸六巻 鱗介類 和尚魚」、槐陰草堂、1609年刊行があり、潭濱黄・晟東曙(重校)とある。
- ^ 屈大均. “廣東新語 第二十二卷鱗語”. 中國哲學書電子化計劃. 2020年7月9日閲覧。
参考文献
[編集]- 九頭見和夫「江戸時代の「人魚」像 (2) : 博物学の舶来を中心として」『福島大学人間発達文化学類論集』第3巻、福島大学人間発達文化学類、2006年6月、59-69頁、CRID 1050282812727931904、hdl:10270/499、ISSN 1880-3903。
- 日野巖「4. 人魚」『動物妖怪譚』養賢堂、1926年、161–180頁 。(復刻 有明書房,1979)
- 松岡正子「人魚傳説 -『山海經』を軸として-」『中國文學研究』第8巻、早稻田大學中國文學會、1982年12月、49-66頁、CRID 1050001202507336704、hdl:2065/35194、ISSN 0385-0919。
- 吉岡郁夫「<論文>人魚の進化」『比較民俗研究』第8号、筑波大学比較民俗研究会、1993年9月、35–47頁、hdl:2241/14286、ISSN 0915-7468、NAID 110000531257。
- 李時珍 (著); 鈴木真海訳 (1930). “本草綱目鱗部第四十四卷 䱱魚・鯢魚”. 頭註国訳本草綱目. 春陽堂. pp. 532–534
- Magnani, Arianna (May 2022). “Searching for Sirenes in the 17th and 18th Centuries: Fantastic Taxonomies of Anthropomorphic Fish in Chinese and Jesuit Texts”. Sulla Via del Catai (26): 87–105 .