桑田神社
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桑田神社(くわだじんじゃ、くわた-)は、『延喜式神名帳』に記載されている丹波国桑田郡の式内社。以下の二社が論社とされている。
概要
[編集]『延喜式神名帳』に「丹波国桑田郡 桑田神社」と記載される式内社。
亀岡市内に論社が二社ある。馬堀の社は山本の社の元宮ともいわれるが、正確な由緒は不詳。
両社とも亀岡市東部、大堰川右岸の保津峡入り口近くに鎮座し、川向うには請田神社が鎮座する。
桑田神社 (亀岡市篠町山本)
[編集]桑田神社 | |
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拝殿(左)と本殿(右奥) | |
所在地 | 京都府亀岡市篠町山本北絛50.51 |
位置 | 北緯35度00分51.83秒 東経135度36分33.88秒 / 北緯35.0143972度 東経135.6094111度 |
主祭神 | 市杵島姫命 |
社格等 |
式内社(小)論社 旧村社 |
創建 | 不詳 |
本殿の様式 | 流造 |
例祭 | 10月25日[1] |
桑田神社(くわだじんじゃ、くわた-)は、京都府亀岡市篠町山本にある神社。式内社論社。旧社格は村社。
祭神
[編集]- 主祭神
- 市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと)
- 配祀神
歴史
[編集]祭神の大山咋命・市杵島姫命は、鍬山神社(亀岡市上矢田町)祭神とともに、湖であった亀岡盆地を開拓のため保津峡を開削したといわれる。当地は盆地入り口にあたるため政治的にも重要な地で、秦氏の勢力がいち早く進出したとされる[2]。社伝では、この地は「田庭」と呼ばれており「丹波」はこの田庭より名付けられたとされる[3][注釈 1]。その後、田庭には早稲を作ったり桑を植えて養蚕を営んだことに因み、田庭を今でも小字で「桑の木」と呼んでいると伝える[3]。
当地の地名が「桑田」であることは『大日本史神祇志』にも記されているが、明治6年まで川向うの神社と同じく「請田神社(浮田神社)」を名乗っていた[2]。明治6年6月、近代社格制度において村社に列し、明治10年6月に式内社桑田神社を公称[1]。
境内
[編集]-
本殿
-
参道
-
鳥居
摂末社
[編集]- 地主神社
- 五社神社
- 天満宮
- 水神宮
- 九頭龍大神
- 秋葉宮
- 祓戸宮
現地情報
[編集]- 所在地
- 交通アクセス
- 周辺
桑田神社 (亀岡市篠町馬堀)
[編集]桑田神社 | |
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中央に本殿、右隣に天満宮 | |
所在地 | 京都府亀岡市篠町馬堀東垣内3 |
位置 | 北緯35度00分31.38秒 東経135度36分08.36秒 / 北緯35.0087167度 東経135.6023222度 |
主祭神 | 市杵島姫命 |
社格等 |
式内社(小)論社 旧無格社[4] |
創建 | 不詳 |
例祭 | 10月25日[4] |
桑田神社(くわだじんじゃ、くわた-)は、京都府亀岡市篠町馬堀にある神社。式内社論社。旧社格は無格社[4](社格がないという意味ではなく「無格社」という社格)。
祭神
[編集]- 市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと)
歴史
[編集]由緒は不詳。当地から篠町山本に祭神が遷ったともいわれる[4][5]。
境内
[編集]-
本殿の覆屋
-
鳥居
摂末社
[編集]- 天満宮
現地情報
[編集]- 所在地
- 交通アクセス
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 「丹波」は古くは「たには・たにわ」と呼ばれたことは『和名抄』から分かっており、考古学的にも語源として「田庭」とする説がある(「丹波国#「丹波」の名称と由来」を参照)。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 境内説明板(篠町山本のみ)
- 『日本歴史地名大系 京都府の地名』(平凡社)亀岡市 桑田神社項
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第18巻』(皇學館大学出版部)桑田神社項