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浪越徳治郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
なみこし とくじろう

浪越 徳治郎
生誕 1905年11月3日
香川県仲多度郡多度津町
死没 (2000-09-25) 2000年9月25日(94歳没)
別名 ジェット浪越
アッハー浪越
職業 指圧
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マッサージ師小野田滋とともに

浪越 徳治郎(なみこし とくじろう、1905年11月3日 - 2000年9月25日)は、日本の指圧師実業家、タレント。日本指圧協会元会長。

経歴

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香川県仲多度郡多度津町に生まれる。7才の時に北海道虻田郡留寿都村に移住。1955年、東京都文京区小石川日本指圧専門学校を設立した。

マリリン・モンローが新婚旅行で来日した際に、胃痙攣で体調を崩したモンローに素手で触って指圧した[1]唯一の日本人である。このことについて浪越は「そりゃあもう、とにかく綺麗な方でしたよ。いつもより三倍くらい時間をかけてしまいました」と後にテレビ番組の中で述懐している。

他にも、モハメド・アリ吉田茂をはじめとした歴代の内閣総理大臣A級戦犯を裁いた東京裁判の首席検事ジョセフ・キーナンなど、国内外の著名人を治療したことにより、日本はもとより全世界に指圧(SHIATSU)を普及させた。[2][3]

1971年には無所属で第9回参議院議員通常選挙全国区に立候補したが落選した。

テレビドラマバラエティ番組にも出演。特に『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ)では、当初、「アーッハッハ」という豪快な笑い声から「アッハー浪越」の名前で登場。後に、ジェットコースターに乗った際に普段の笑い声が消え、あまりにも怖がっていたためそのリアクションから「ジェット浪越」と命名され、一般人から発掘された福島出身の吉田十三(通称「エンペラー吉田」)とコンビを組んだ。

2000年9月25日午前3時7分に、肺炎のため東京都文京区の病院で死去。94歳。

墓所は東京都文京区小石川三丁目の伝通院。寺の境内には生前浪越が寄贈した指塚がある。

日本指圧専門学校は同寺の傍に所在し、現在、息子・和民が理事長を務めている。

映画

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テレビ番組

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テレビCM

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関連項目

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参考資料

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  1. ^ 浪越徳治郎・著 自分でできる3分間指圧:快食・快眠・快便の健康法(1967年) 実業之日本社
  2. ^ http://www.namikoshi-shiatsu.co.jp/family/tokujiro.html
  3. ^ https://www.rusutsu.gr.jp/view/219.html
  4. ^ 愛の三分間指圧 - JMDB ※ビデオソフト化(VHS)されている。

外部リンク

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