浜田到
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浜田 到(はまだ いたる、1918年6月19日 - 1968年4月30日)は、日本の歌人、詩人、医師[1]。ロサンゼルス出身[1]。
略歴
[編集]1912年、農園を経営していた両親が移住していたロサンゼルスに生まれ[1]、4歳のとき帰国[2]。両親の出身地である鹿児島県霧島市に育つ。鹿児島県立第一中学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校)在学中に短歌を始め、旧制姫路高等学校、旧制岡山医科大学を卒業[3]。
1935年に潮音系短歌雑誌『山茶花』に短歌作品を発表[1]。異色ある作品として注目される。以後、『歌宴』『工人』を経由。
1944年に岡山医科大学卒業後、鹿児島市内の済生会病院に勤務(内科医)[1]。
1951年、中井英夫に見出され『短歌研究』8月号の「モダニズム短歌特集」に塚本邦雄らとともに寄稿、1960年には塚本邦雄、寺山修司、山中智恵子、菱川善夫らとともに同人誌「極」に参加。「浜田遺太郎」名義で詩も書き、木原孝一に評価される[3]。
1968年4月30日に、往診の帰路に事故死(49歳)。死後翌年、旧『歌宴』同人たちの手により歌集『架橋』が出版され、1971年には『浜田遺太郎詩集』も刊行される[1]。
2024年より霧島市で浜田到顕彰きりしま短歌大会が開催されている[4]。
著書
[編集]- 歌集『架橋』1969年、白玉書房
- 詩集『浜田遺太郎詩集』1971年、昭森社
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 『現代歌人文庫 浜田到歌集』国文社、1980年1月30日、背表紙頁。
- ^ “ことばみがいた鹿児島の「詩人(うたびと)」、浜田到:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2021年2月23日). 2024年8月26日閲覧。
- ^ a b “企画展「孤高の詩人(うたびと) 浜田到」(2021.2.17~2021.5.10) - かごしま近代文学館・かごしまメルヘン館”. かごしま近代文学館・かごしまメルヘン館 - 子どもから大人まで 文学の世界にあそぶ (2020年9月17日). 2024年8月26日閲覧。
- ^ “浜田到顕彰きりしま短歌大会 | 短歌大会応募作品募集”. 浜田到顕彰きりしま短歌大会. 2024年8月26日閲覧。