浜田倫三
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浜田 倫三[1] | |
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生年月日 | 1914年[1] |
出生地 | 大日本帝国 福井県大飯郡高浜町三明 |
没年月日 | 2005年2月9日 |
称号 |
高浜町名誉町民(第1号、1984年)[1] 勲四等瑞宝章(1985年)[1] |
高浜町長 | |
当選回数 | 5 |
在任期間 | 1962年10月10日 - 1982年10月9日 |
浜田 倫三(はまだ りんぞう、1914年(大正3年) - 2005年(平成17年))は、日本の政治家。元高浜町長[2]。関西電力(関電)子会社の環境総合テクノス顧問[2]。森山栄治助役と共に高浜原子力発電所誘致に尽力した。
来歴
[編集]1914年、福井県大飯郡高浜町三明生まれ。呉服商や町議を経て1962年から5期20年、高浜町長を務めた[2]。1974年から1975年、運転を始めた高浜原発1、2号機の誘致に尽力[2]。1982年、町長を退任[2]。1983年から亡くなる2005年まで関西電力の子会社・関西総合環境センター(現環境総合テクノス)の顧問を務めた[2]。
町長在任中の1976年-1977年、町民や町議会に報告のないまま、関電からの協力金9億円を浜田個人名の普通預金口座に受け入れ、うち3億3000万円が町内の5つの漁業協同組合に配分された[3]。この件について、2度にわたる住民監査請求と、浜田に対する損害賠償請求訴訟とが相次いでなされたが、いずれも認められなかった[3]。