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濱田保徳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浜田保徳から転送)
濱田 保徳
はまだ やすのり
生年月日 (1957-06-07) 1957年6月7日(67歳)
出生地 徳島県美馬郡脇町
(現:美馬市
出身校 徳島県農業大学校
前職 会社役員
現職 小松島市長
配偶者

小松島市長
当選回数 2回
在任期間 2013年2月3日 - 2020年4月30日

小松島市議会議員
当選回数 2回
在任期間 2007年5月1日 - 2012年10月
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濱田 保徳(はまだ やすのり、1957年昭和32年)6月7日[1] - )は、日本政治家。元徳島県小松島市長(2期)。

経歴

[編集]

徳島県美馬郡脇町(現・美馬市)の酪農家に生まれた[2]徳島県農業大学校卒業[3][4]

1978年、農家の濱田家の婿養子として小松島市櫛渕町に移り住んだ[2]。原木椎茸の栽培を始め、1987年に菌床栽培に切り替えた[2]

1994年、櫛渕椎茸組合を設立。1997年、有限会社浜田農園を設立。2000年、株式会社化し株式会社浜田農園となる。2001年、サンマッシュ櫛渕協同組合を設立[2]2003年7月、同組合代表理事に就任。2007年、株式会社浜田農園社長を退任し、会長に就任[2]

2007年5月、小松島市議会議員に就任。2011年、再選。

2013年1月27日に行われた小松島市長選挙に立候補し初当選した[3][5]2013年2月3日に小松島市長就任に伴い、サンマッシュ櫛渕協同組合代表理事を辞任した[4]

2017年、無投票により再選[6]

2020年4月13日、一般廃棄物最終処分場を巡る対応などについて考えの違いが生じたとの理由で、副市長の孫田勤を解任した[7]。4月15日、濱田が、市営競輪場の運営業務委託先の公募で、入札業者の採点結果の改ざんを職員に要求するような発言を内部の会議でしていたことが明らかとなった。共同通信が録音を入手し、浜田は「自分の発言で間違いない」と認めた。また、解任した孫田へのパワーハラスメントも指摘されていた[8]。同年4月20日、市議会議長に辞職願を提出。市議会は同日の臨時会で同意し、4月30日付の辞職が決まった[9]

脚注

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  1. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、362頁。
  2. ^ a b c d e 移動編集局 小松島市 櫛渕を訪ねて 【2】菌床シイタケ 規模拡大に情熱燃やす 危機感抱き絶えず挑戦”. 徳島新聞 2008.11.28. 2017年2月9日閲覧。
  3. ^ a b 小松島市長に浜田氏 投票率55.02%、新人対決801票差”. 徳島新聞 2013.1.28. 2013年2月5日閲覧。
  4. ^ a b 小松島市長プロフィール”. 小松島市. 2013年2月5日閲覧。
  5. ^ REAL POLITICS JAPAN : 選挙情報・分析 - 選挙データ : 徳島県 小松島市
  6. ^ 『小松島市長選 濱田氏が無投票当選 津波避難場所整備に意欲』徳島新聞 2017年1月16日 1面 総合面
  7. ^ “小松島市長、副市長を解任 廃棄物処分場巡り意見対立 /徳島”. 毎日新聞. (2020年4月14日). https://mainichi.jp/articles/20200414/ddl/k36/010/396000c 2020年4月20日閲覧。 
  8. ^ “小松島市長が入札採点改ざん示唆 徳島、競輪場業務委託先の公募で”. 京都新聞. (2020年4月15日). https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/221913 2020年4月20日閲覧。 
  9. ^ “「市政を混乱」、市長が辞職 出直し選に含み―徳島県小松島市”. 時事通信. (2020年4月20日). https://web.archive.org/web/20200420155707/https://www.jiji.com/jc/article?k=2020042000708&g=pol 2020年4月20日閲覧。 
公職
先代
濱田保徳
徳島県小松島市長
2013年 -
次代
現職