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浜名敏幸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浜名 敏幸
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大分県臼杵市
生年月日 (1956-06-17) 1956年6月17日(68歳)
身長
体重
180 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1974年 ドラフト3位
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

浜名 敏幸(はまな としゆき[1][2]1956年6月17日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手投手、右投げ右打ち、180cm、75kg。

ドラフト指名時の名前は浜名 繁幸[1][3][4]だったが、入団契約締結時に敏幸に改名した[5]

来歴

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1972年大分県立臼杵商業高等学校に入学。1974年、最後の夏は大分県予選準々決勝で、渡辺光弘大分県立中津工業高等学校に1-2で敗退し、在学中の甲子園大会出場はなかった[6]

この秋のドラフト会議で、南海ホークスから3位指名を受け、1975年に入団。なお、前述の渡辺も翌年に南海に入団している。

入団時は本格派でカーブ、シュートが武器の速球派投手であったが、1977年下手投げにモデルチェンジ。1979年シーズンをもって引退し[3]、翌年から打撃投手に転向。1982年シーズン限りで退団した[7]

詳細情報

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年度別投手成績

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  • 一軍公式戦出場なし

背番号

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  • 53(1975年 - 1979年)
  • 66(1980年 - 1982年)

脚注

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出典

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  1. ^ a b ドラフト全史2003 2004, p. 198
  2. ^ 朝日新聞東京本社版1974年3月26日付朝刊19面
  3. ^ a b プロ野球人名事典 2001, p. 407
  4. ^ 朝日新聞東京本社版1974年11月20日付朝刊17面
  5. ^ 朝日新聞東京本社版1974年12月27日付朝刊12面
  6. ^ 朝日新聞東京本社版1974年7月24日付朝刊14面
  7. ^ 「南海ホークス栄光の歴史1938-1988」122P、ベースボール・マガジン社、2012年、ISBN 978-4583618876

参考文献

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  • 『日本プロ野球ドラフト全史2003年最新改訂版』ベースボール・マガジン社、2004年。ISBN 978-4583612553 
  • 森岡浩『プロ野球人名事典2001』日外アソシエーツ(発行)、紀伊國屋書店(発売)、2001年。ISBN 978-4816916694