浅香社
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浅香社(あさかしゃ[1])は、落合直文が1893年(明治26年)に結成して主催した短歌結社。名称は、直文が住んだ東京の浅嘉町(現・文京区本駒込3-6-9)に由来する。
直文は東京大学を中退後、第一高等中学校や東京専門学校(現・早稲田大学)などで教鞭をとりながら、国学の研究を行い、浅嘉町に移り住んだ。浅香社には与謝野鉄幹、金子薫園、尾上柴舟、鮎貝槐園(直文の実弟)など集まり、短歌の改革に尽力した。ここから、新詩社(鉄幹)いかづち会(柴舟)などの新たな運動が起こり、発展していった。その後、門流から、与謝野晶子、石川啄木、北原白秋などが輩出し、浪漫的短歌の源流となった。
直文は明治の新時代に古来の和歌が一般人には難しいことから、平易な言葉で作歌できるようにし、また貴族、老人のものであった和歌を若い人でも作歌できるように努めた。また直文は門弟にはまねすることなく、個性をとても大事にした。
浅香社は明治33年頃に自然消滅したが、前年の11月に支社として創設された東京新詩社[2]にその伝統は引き継がれていく[3]。