浅野清 (古生物学者)
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人物情報 | |
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生誕 |
1910年6月1日 日本愛知県名古屋市[1] |
死没 |
1989年3月24日(78歳没) 日本茨城県つくば市筑波大学附属病院[1] |
出身校 | 東北帝国大学[1] |
学問 | |
研究分野 | 古生物学 |
浅野 清(あさの きよし、1910年6月1日 - 1989年3月24日)は、日本の古生物学者。愛知県名古屋市出身。
人物
[編集]名古屋市内において、11人兄弟の末っ子として生を受ける[1]。第八高等学校(名古屋大学の前身)を卒業後、東北帝国大学理学部、東北帝国大学大学院に進んだ[1]。大学院において、小型有孔虫に関する研究に精力的に取り組む[1]。
1938年(昭和13年)、南洋庁熱帯研究所嘱託となり、当時日本の委任統治下にあったパラオに赴いた[1]。翌年技師となりサンゴ礁の研究を開始したものの、その年の秋には太平洋石油株式会社に移ることとなった[1]。同社ではメキシコの石油資源調査に携わる[1]。1941年(昭和16年)夏には仙台に戻り、東北帝大において副手の職を得た[1]。助手、助教授を経て、1951年(昭和26年)に後身の東北大学理学部教授となった[1]。 1974年(昭和49年)、定年退官[1]。
1989年、つくば市筑波大学附属病院において亡くなった[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 斎藤常正「浅野清先生を悼む」『地質學雑誌』第95巻第6号、日本地質学会、1989年6月15日、505-506頁、NAID 110003024083、2020年7月20日閲覧。