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浅野智治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浅野 智治
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 岡山県総社市
生年月日 (1971-04-17) 1971年4月17日(53歳)
身長
体重
178 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1989年 ドラフト6位
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

浅野 智治(あさの ともはる、1971年4月17日 - )は、岡山県総社市出身の元プロ野球選手(投手)、少年野球指導者。アサノ・ベースボール・アカデミー代表[1]

1992年から1994年浅野友晴1997年から1998年浅野伴治の登録名を使用した(いずれも読み同じ)。

来歴・人物

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岡山南高では3年春に中国大会ベスト4、夏は県大会準決勝まで進むが登板はなく敗退。1989年のプロ野球ドラフト会議読売ジャイアンツから6位指名され入団。社会人野球熊谷組の内定を断り入団した。甲子園経験はなくとも140km/h台後半の速球を誇る本格派右腕として、高校球界No.1とスカウトの間では騒がれていた。武器はカーブ、フォークボール。

プロ入り後は、入団早々肩の故障を繰り返し投手としてのダメージを負った。それでも最高153km/hの速球を持っていたが一軍には上がれずに8年目を終えた1997年オフに自由契約となり、近鉄バファローズのテストを受けて合格する。しかし、1998年も一軍登板は無く、同年限りで現役を引退した。

引退後は地元岡山県に戻り、父が営む建設業を手伝う傍らで、2005年頃より小中学生向けの野球塾「アサノ・ベースボール・アカデミー」(浅野野球塾)をオープン[2]。過去の塾生に引地秀一郎楽天)がいる[2]。少年野球指導実績を買われ、2020年6月27日には古巣・巨人とOBスカウトとしての契約を締結。岡山エリアの有望選手の情報を巨人に提供する役割を担っている[3]。社会人で構成された軟式野球チームも率いており、全国大会出場を果たした。

詳細情報

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年度別投手成績

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  • 一軍公式戦出場なし

背番号

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  • 63 (1990年 - 1994年)
  • 57 (1995年 - 1997年)
  • 67 (1998年)

登録名

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  • 浅野 智治 (あさの ともはる、1990年 - 1991年、1995年 - 1996年)
  • 浅野 友晴 (あさの ともはる、1992年 - 1994年)
  • 浅野 伴治 (あさの ともはる、1997年 - 1998年)

脚注

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  1. ^ 野球塾について”. 岡山の野球教室 浅野野球塾. 2020年9月19日閲覧。
  2. ^ a b “巨人OBスカウトに浅野さん就任 金の卵発掘で「恩返しできれば」”. 山陽新聞デジタル. (2020年7月1日). https://web.archive.org/web/20200817075502/https://www.sanyonews.jp/article/1026808 2020年9月19日閲覧。 
  3. ^ 読売巨人軍OBスカウトとの契約締結について”. 読売ジャイアンツ (2020年6月27日). 2020年9月19日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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