浅利正勝
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浅利 正勝(あさり まさかつ、古い戸籍では「淺利」。1945年7月31日 - 2004年6月8日)は、日本のスキージャンプ選手、監督。北海道出身。
プロフィール
[編集]1968年グルノーブルオリンピックのスキージャンプ代表。数々の国内外の大会で優勝し、第一期日本スキー界の黄金期に活躍した選手の一人。明治大学を経て雪印乳業(現・雪印メグミルク)株式会社に所属。
後に同社のスキー部監督に就任し、原田雅彦選手などを育て、第二期日本スキー界の黄金期を支え、育てた。同社スキー部監督退任後は、スキージャンプの国際飛型審判員として、日本スキー連盟に貢献。
2004年6月8日東京都内の病院にて死去[1]。
主な成績
[編集]- 1966年 第21回国民体育大会冬季大会スキー競技会 65メートル級 成年の部優勝
- 1967年 第40回全日本学生スキー選手権大会一部 優勝
- 1968年 第41回全日本学生スキー選手権大会一部 優勝(2連覇)
- 1968年 冬季ユニバーシアード(インスブルック) 60メートル級 2位
- 1968年 グルノーブルオリンピック(冬季オリンピック) 出場
- 1969年 第4回雪印杯全日本ジャンプ旭川大会 成年の部優勝
- 1969年 第24回北海道スキー選手権大会65メートル級 成年の部優勝
- 1969年 第24回国民体育大会冬季大会スキー競技会 70メートル級 成年の部優勝
- 1970年 スキージャンプ・ワールドカップインスブルック大会10位(自己最高位)
- 1970年 第48回全日本スキー選手権大会 90メートル級 優勝
- 1972年 第27回北海道スキー選手権大会(宮の森)70メートル級 成年の部優勝
- 1973年 第51回全日本スキー選手権大会兼第44回宮様スキー大会 70メートル級 優勝
- 1974年 第25回秩父宮賜杯スキー大会成年の部 優勝
- 1975年 第11回倶知安町長杯全道ジャンプ大会成年の部 優勝