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浅内村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
あさないむら
浅内村
廃止日 1955年4月1日
廃止理由 編入合併
能代市、檜山町浅内村鶴形村常盤村能代市
現在の自治体 能代市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 秋田県
山本郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 4,269
国勢調査1950年
隣接自治体 能代市
山本郡浜口村鵜川村金岡村
浅内村役場
所在地 秋田県山本郡浅内村
座標 北緯40度10分32秒 東経140度01分40秒 / 北緯40.17569度 東経140.02778度 / 40.17569; 140.02778座標: 北緯40度10分32秒 東経140度01分40秒 / 北緯40.17569度 東経140.02778度 / 40.17569; 140.02778
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浅内村(あさないむら)は秋田県山本郡にあった。現在の能代市南西部の日本海に面した区域にあたる。

地理

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歴史

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  • 1591年(天正19年)正月吉日、豊臣秀吉秋田実季の知行地を安堵した朱印状の写しに「川とが村」と合わせて高370石余の「あさ内村」とあるのが初見である。(「秋田家文書」)
  • 寛文4年まで檜山郡、それ以降は山本郡。江戸期の「正保国絵図」で本田当高184石、「享保黒印高帳」で村高584石余(本田91、本田並43、新田213石)、「寛政村附帳」で当高282石余、「秋田風土記」「天保郷帳」ともに347石余。家数は享保期に121軒、支郷は寒川が16、石丁6、福田13、成合4、出戸13、黒岡32軒であった。文化期は支郷を含めて150軒であった。福田は天和3年以前は桑振村と言った[1]
  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、浅内村、河戸川村の区域をもって発足。
  • 1955年昭和30年)4月1日 - 能代市に編入。同日浅内村廃止。

交通

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鉄道路線

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村域を奥羽本線が通過したが、駅は所在しなかった。

道路

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現在は旧村域に琴丘能代道路能代南インターチェンジが所在するが、当時は未開通。

脚注

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  1. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 『角川日本地名大辞典 5 秋田県』 角川書店、1980年3月8日。ISBN 4-04-001050-7

参考文献

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関連項目

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