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浄法寺城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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浄法寺城
岩手県
別名 小幡館
城郭構造 平山城
築城主 浄法寺修理
築城年 明応元年(1492年
主な城主 浄法寺氏
廃城年 天正20年(1592年
遺構 曲輪
指定文化財 未指定
再建造物 現地解説板
位置 北緯40度10分58.6秒 東経141度09分06.1秒 / 北緯40.182944度 東経141.151694度 / 40.182944; 141.151694座標: 北緯40度10分58.6秒 東経141度09分06.1秒 / 北緯40.182944度 東経141.151694度 / 40.182944; 141.151694
地図
浄法寺城の位置(岩手県内)
浄法寺城
浄法寺城
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浄法寺城(じょうぼうじじょう)は、岩手県二戸市浄法寺町八幡館にあった日本の城。別称小幡館

概要

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東に安比川が流れ、城跡は4つの郭からなり、東西350メートル、南北500メートル。主郭の八幡館の北東隅には八幡宮を祀り、大館、親城館の2郭は八幡館の西側に位置し、北は急な崖で、南に広い堀をめぐらせていたとみられる。

現在、堀と平坦地を若干残すのみであるが、発掘調査により中世の陶磁器類が出土している[1]

歴史

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築城時期は不明。浄法寺氏の居城で、陸奥国二戸郡浄法寺村に所在した。

天正20年(1592年)6月、「諸城破却令」の書上には「浄法寺 山城 畠山 修理 持分」とあり破却は免れた。

ついで、慶長6年(1601年)、岩崎一揆において岩崎陣に参加したさい、浄法寺重好の不首尾があったため領地は没収され、浄法寺氏宗家は廃絶した。

脚注

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参考文献

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  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 3 岩手県』角川書店、1985年3月8日。ISBN 4-04-001030-2 
  • (有)平凡社地方資料センター『日本歴史地名大系 第3巻 岩手県の地名』平凡社、1990年7月13日。ISBN 4-582-91022-X 

関連項目

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