浄法寺城
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浄法寺城 (岩手県) | |
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別名 | 小幡館 |
城郭構造 | 平山城 |
築城主 | 浄法寺修理 |
築城年 | 明応元年(1492年) |
主な城主 | 浄法寺氏 |
廃城年 | 天正20年(1592年) |
遺構 | 曲輪、堀 |
指定文化財 | 未指定 |
再建造物 | 現地解説板 |
位置 | 北緯40度10分58.6秒 東経141度09分06.1秒 / 北緯40.182944度 東経141.151694度座標: 北緯40度10分58.6秒 東経141度09分06.1秒 / 北緯40.182944度 東経141.151694度 |
地図 |
浄法寺城(じょうぼうじじょう)は、岩手県二戸市浄法寺町八幡館にあった日本の城。別称小幡館。
概要
[編集]東に安比川が流れ、城跡は4つの郭からなり、東西350メートル、南北500メートル。主郭の八幡館の北東隅には八幡宮を祀り、大館、親城館の2郭は八幡館の西側に位置し、北は急な崖で、南に広い堀をめぐらせていたとみられる。
現在、堀と平坦地を若干残すのみであるが、発掘調査により中世の陶磁器類が出土している[1]。
歴史
[編集]築城時期は不明。浄法寺氏の居城で、陸奥国二戸郡浄法寺村に所在した。
天正20年(1592年)6月、「諸城破却令」の書上には「浄法寺 山城 畠山 修理 持分」とあり破却は免れた。
ついで、慶長6年(1601年)、岩崎一揆において岩崎陣に参加したさい、浄法寺重好の不首尾があったため領地は没収され、浄法寺氏宗家は廃絶した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 3 岩手県』角川書店、1985年3月8日。ISBN 4-04-001030-2。
- (有)平凡社地方資料センター『日本歴史地名大系 第3巻 岩手県の地名』平凡社、1990年7月13日。ISBN 4-582-91022-X。