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浄橋女王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

浄橋女王(きよはしじょおう/きよはしのおおきみ、生年不詳 - 延暦9年閏3月1日(790年4月19日))は、奈良時代皇族。系譜は不詳だが、光仁天皇の姪で、志貴皇子の孫。位階従四位上清橋女王とも表記される。

経歴

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光仁朝宝亀元年(770年)11月、光仁天皇即位に伴う詔により、春日宮御宇天皇(志貴皇子)の皇孫として二世王待遇となり、無位から従四位下直叙される[1]桓武朝天応元年(781年)11月、従四位上に昇叙される[2]。延暦9年(790年)閏3月、卒[3]

官歴

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続日本紀』による

脚注

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  1. ^ 『続日本紀』巻第三十一、光仁天皇 宝亀元年11月1日条
  2. ^ 『続日本紀』巻第三十六、桓武天皇 天応元年11月16日条
  3. ^ 『続日本紀』巻第四十、桓武天皇 今皇帝 延暦9年閏3月1日条

参考文献

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関連項目

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