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浄信寺 (久喜市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浄信寺
所在地 埼玉県久喜市栗橋東3-8-15
位置 北緯36度08分10.6秒 東経139度42分14.5秒 / 北緯36.136278度 東経139.704028度 / 36.136278; 139.704028座標: 北緯36度08分10.6秒 東経139度42分14.5秒 / 北緯36.136278度 東経139.704028度 / 36.136278; 139.704028
山号 無量山
院号 帰命院
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀三尊
創建年 元和3年(1617年
開山 乗誉玄徹
法人番号 1030005004397 ウィキデータを編集
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浄信寺(じょうしんじ)は、埼玉県久喜市にある浄土宗寺院

歴史

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1617年元和3年)、乗誉玄徹によって開山された。玄徹は現在の宮城県仙台市青葉区にある昌繁寺住職であったが、幕府の所在地となった江戸に寺を創建すべく、江戸に向かっていたが、途中の栗橋宿で縁あって当地に留まり、「帰命院」と称する庵を設けた。その後、現在の鴻巣市にある勝願寺の日誉源貞が整備拡充し、「浄信寺」として寺院化した[1]

境内には、梅澤太郎右衛門の墓がある。第2代将軍徳川秀忠日光社参の際に、利根川の増水で秀忠が通る舟橋の危険性が高まった。太郎右衛門らは体を張って水中に入り、舟橋の安全を確保した。渡河後、秀忠はこれを賞し、苗字帯刀の特権を与え、栗橋宿の世話役に任じた[1]

文化財

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  • 梅澤太郎右衛門の墓(久喜市指定文化財 昭和56年6月12日指定)[2]

交通アクセス

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脚注

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  1. ^ a b 渡辺良夫 著『古利根の寺々(さきたま双書)』さきたま出版会、1995年、192-193p
  2. ^ 梅澤太郎右衛門の墓久喜市

参考文献

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  • 渡辺良夫 著『古利根の寺々(さきたま双書)』さきたま出版会、1995年