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鴻野淳基

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
洪淳基から転送)
鴻野 淳基
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県名古屋市北区
生年月日 (1961-07-10) 1961年7月10日(63歳)
身長
体重
183 cm
76 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手遊撃手二塁手
プロ入り 1979年 ドラフト1位
初出場 NPB / 1981年9月29日
KBO / 1994年
最終出場 NPB / 1993年4月18日
KBO / 1994年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

鴻野 淳基(こうの じゅんき、1961年昭和36年〉7月10日 - )は、愛知県名古屋市北区[1]出身の元プロ野球選手外野手内野手、右投右打)。

KBOでの登録名は「洪 淳基」(ホン・スンギ)。

来歴・人物

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名古屋市立大曽根中学校時代から運動神経は抜群で、体育祭の100メートル走で校内記録を卒業後も10年以上保持していた。名古屋電気高では3年次の1979年、4番打者、三塁手として夏の県大会に臨むと坂本佳一投手を擁する東邦高に勝利、準決勝では自ら先発して勝利すると決勝に進出するが、中京高に敗退し甲子園出場を逃した。高校の2学年後輩に工藤公康山本幸二中村稔がいた。

同年のドラフト1位で西武ライオンズに入団[1]。いきなり背番号7を与えられ、将来チームを背負う主力選手候補としての期待も大きかったが、1980年は高卒1年目という事もあって一軍での出場機会が無かった。イースタン・リーグでは積極的に起用され全70試合中56試合に出場したが、打撃は打率.238、24三振、守備でも13失策など、まだまだ力不足を示す結果となった。オフのドラフト1位で石毛宏典が入団したのに伴い番号を変更される。2年目の1981年9月29日近鉄戦(日生)に9番打者、二塁手として初出場・初先発、4回表に谷崎浩二から初安打を放つ。1982年9月3日阪急戦(西宮)の9回表に山口高志からスクイズを決めて初打点を記録。

1984年オフに鈴木康友との交換トレードで読売ジャイアンツへ移籍[1]1985年4月20日広島戦(広島市民)で9回表に角三男の代打として出場、小林誠二からソロ本塁打を放って初本塁打を記録。この頃には正遊撃手であった河埜和正が衰えを見せ、1986年から岡崎郁との熾烈な遊撃手の定位置争いが続く。同年は岡崎に代わり7月から51試合に先発出場。1987年には遊撃の定位置を掴みかけ、キャリアハイとなる94試合に出場(うち67試合に先発)。同年の古巣・西武との日本シリーズでも3試合に先発するが、11打数1安打に終わる。1988年の開幕試合となる4月8日ヤクルト戦(東京D)で、7回表一死一、三塁の場面で荒井幸雄が放った二ゴロの併殺プレーの際、逆転負けにつながる悪送球をしてしまい、以降は勝呂博憲川相昌弘の台頭もあり二軍に落ち、シーズン中に外野手に転向した。以後は主に外野の守備固めでの出場となり、1991年オフに大野雄次との交換トレードで元巨人・須藤豊監督率いる横浜大洋ホエールズへ移籍するも結果を残せなかった[1]1994年には韓国プロ野球ロッテ・ジャイアンツに移籍し、洪淳基(ホン・スンギ、홍순기)としてプレーしたが[1]、期待された結果は残せずに6月で退団。

引退後は会社員の傍らでプロ野球マスターズリーグの名古屋80D'sersでプレーしていたが、マスターズリーグが活動休止後は会社員に専念。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1981 西武 3 6 5 1 1 0 0 0 1 0 0 1 0 0 1 0 0 3 0 .200 .333 .200 .533
1982 7 2 1 1 0 0 0 0 0 1 0 0 1 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
1983 16 10 9 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 2 0 .000 .100 .000 .100
1984 9 10 9 0 1 0 0 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 3 0 .111 .111 .111 .222
1985 巨人 35 28 25 8 6 0 1 1 11 3 3 3 1 0 2 0 0 12 0 .240 .296 .440 .736
1986 60 190 172 20 43 10 2 4 69 20 10 3 6 1 11 1 0 41 4 .250 .293 .401 .695
1987 94 274 236 40 69 12 3 4 99 17 11 8 19 2 16 0 1 45 2 .292 .337 .419 .757
1988 65 172 149 23 40 7 2 2 57 9 6 4 10 1 12 1 0 31 1 .268 .321 .383 .704
1989 79 68 60 17 12 0 0 1 15 3 9 5 3 0 5 0 0 13 2 .200 .262 .250 .512
1990 6 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1991 57 65 60 17 18 3 1 2 29 6 3 0 2 0 2 0 0 21 1 .300 .323 .483 .806
1992 大洋
横浜
14 25 23 3 3 1 0 0 4 1 2 0 0 0 1 0 0 11 0 .130 .167 .174 .341
1993 5 6 6 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .000 .000 .000 .000
1994 ロッテG 19 45 36 1 4 1 0 0 5 3 0 2 1 0 6 0 2 11 3 .111 .273 .139 .412
NPB:13年 450 857 756 133 193 33 9 14 286 60 44 25 43 4 51 2 1 186 10 .255 .302 .378 .680
KBO:1年 19 45 36 1 4 1 0 0 5 3 0 2 1 0 6 0 2 11 3 .111 .273 .139 .412
  • 大洋(横浜大洋ホエールズ)は、1993年に横浜(横浜ベイスターズ)に球団名を変更
  • 表中のロッテG(1994年在籍)は、KBOのロッテ・ジャイアンツ

記録

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NPB

背番号

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  • 7 (1980年)
  • 38 (1981年 - 1984年)
  • 25 (1985年 - 1991年)
  • 8 (1992年)
  • 49 (1993年)
  • 18 (1994年)

登録名

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  • 鴻野 淳基(こうの じゅんき、1980年 - 1993年)
  • 洪 淳基(ホン・スンギ、1994年)

脚注

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  1. ^ a b c d e 森岡浩編著「プロ野球人名事典 2003」214頁(日外アソシエーツ、2003年4月)

関連項目

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外部リンク

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