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津田 将順 (つだ まさより、享保2年(1717年) - 宝暦8年(1758年)) は、加賀藩の重臣、人持組津田玄蕃家第6代当主。通称は健五郎、玄蕃。
加賀藩家老・津田敬脩の長男として生まれる。寛保2年(1742年)、父の死去により家督と知行1万石を相続する。延享2年(1745年)、定火消となる。延享4年(1747年)、桃園天皇の即位の礼の祝賀使を務める。宝暦3年(1753年)に職を辞し、宝暦8年(1758年)に死去する。享年42。家督は弟の正昭が相続した。