津田信澄 (尾張藩)
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元文4年(1739年) |
死没 | 寛政7年(1795年) |
改名 | 志水友吉、津田信澄 |
別名 | 新十郎(通称) |
主君 | 徳川宗睦 |
藩 | 尾張藩士(尾張衆) |
氏族 | 志水氏→津田氏(岩倉織田氏庶流) |
父母 | 父:志水忠梁、養父:津田信栄 |
子 | 信寧 |
津田 信澄(つだ のぶすみ)は、江戸時代中期の尾張藩士。家紋は織田木瓜。
略歴
[編集]元文4年(1739年)、志水忠梁の七男として誕生した。岩倉織田氏の系統津田信栄の養嗣子として家督相続(500石、普請組寄合)。御先手御足軽頭、御歩行頭となる。
寛政7年(1795年)、嫡子の信寧に家督を譲り隠居、まもなく病没する。享年57。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『士林泝洄』
- 『藩士名寄』