津波恒徳
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津波 恒徳(つは こうとく、1927年 - )は、沖縄県出身の沖縄民謡歌手、三線奏者で、「ちぶみ」、「二人が仲」などの作曲作品でも知られる[1]。
生い立ち
[編集]1927年、読谷村長浜に生まれる[2][3]。父は野村流古典音楽の師範、叔父は玉城流舞踊の師範であり、物心つくころから三線が弾けたという[3]。戦時下、15歳のときに集団就職により大阪へ赴き、紡績工場で働くが、きつい仕事に耐えられず、親戚を頼って大阪や長崎を転々とした[3]。
民謡歌手
[編集]第二次世界大戦の終戦時に18歳であった津波は、民謡を志し、1948年に沖縄へ戻った[3]。津波は、故郷の読谷村で理容所を営みながら、知名定繁に師事し、古典音楽や昔歌の発掘に取り組んだ[2]。
やがてラジオやテレビの番組などに出演するようになり[3]、のど自慢荒らしや[4]、登川誠仁、喜納昌永との民謡ショーなどの活動で名を上げた[5]。また、1959年には、石原節子とのデュエット曲「ひじ小節」でレコードデビューした[1]。
その後は、後進の指導にも取り組み、金城実や古謝美佐子[2]、松田永忠[1] 、松田弘一らを育て[4]、また、自らの流派として恒弦会を開き[3]、琉球民謡保存会会長なども務めた[2]。なお、松田永忠は恒徳の従弟にあたる。
1999年からは、息子である津波恒英や、嘉手苅林次とともに、「ゴーヤー・トーンズ」としての活動も行った[4]。
ディスコグラフィ
[編集]- 与論ラッパ節(1998年)
- シンガポール小(2000年)
出典・脚注
[編集]- ^ a b c 小浜司 (2007年5月22日). “美ら弾ち”. 琉球新報 (琉球新報) 2014年3月13日閲覧。 - 琉球新報サイトにて閲覧
- ^ a b c d “津波恒徳(つは・こうとく)[沖縄]”. 三線学校結い. 2014年3月13日閲覧。
- ^ a b c d e f “津波恒徳”. 真南風. 2014年3月13日閲覧。
- ^ a b c “津波恒徳”. Beats21/Rimshot Co., Ltd.. 2014年3月13日閲覧。
- ^ “唄者貫いた人生 登川誠仁さん死去”. 琉球新報 (琉球新報). (2013年3月22日) 2014年3月13日閲覧。 - 琉球新報サイトにて閲覧