津守英五郎
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津守 英五郎(つもり えいごろう、1891年5月8日[1] - 1979年[2]5月1日[3])は、日本の技術者。
和歌山県出身[1]。1912年(明治45年)に東京高等工業学校電気科を卒業し、吉村商会、東洋無線電信電話社長、吉村木工所監査役を務めた[4]。
妻の八重は、共立電機常務取締役を務めた石黒慶三郎の長女[6]。長女は佐治守夫に嫁いだ[1]。
出典
[編集]- ^ a b c 『人事興信録 第25版 下』人事興信所、1969年、つ12頁。
- ^ 「会員報告」『電気協会雑誌』、日本電気協会、1979年8月、52頁。
- ^ 『蔵前工業会誌』第749号、蔵前工業会、1979年11月、p.41。
- ^ 津守英五郞 - 『人事興信録』第8版(1928年7月、リンク先は名古屋大学大学院法学研究科の「人事興信録データベース」)
- ^ “山洋電気の歩みと技術革新(1) 激動の時代を生き抜いた情熱と先見性”. TechCompass. 2024年6月22日閲覧。
- ^ 石黑慶三郞 - 『人事興信録』第8版(1928年7月、リンク先は名古屋大学大学院法学研究科の「人事興信録データベース」)