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泰遠寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
泰遠寺
所在地 福井県福井市西木田1-17-8
位置 北緯36度03分17.19秒 東経136度12分56.18秒 / 北緯36.0547750度 東経136.2156056度 / 36.0547750; 136.2156056座標: 北緯36度03分17.19秒 東経136度12分56.18秒 / 北緯36.0547750度 東経136.2156056度 / 36.0547750; 136.2156056
山号 大谷山
宗派 日蓮宗
創建年 寛文元年(1661年
開山 日琢
法人番号 2210005001128 ウィキデータを編集
泰遠寺の位置(福井県内)
泰遠寺
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泰遠寺(たいおんじ)は、福井県福井市にある日蓮宗寺院。旧本山は大本山妙顕寺[1]

概要

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越前松岡藩松平昌勝松岡に在った寛文元年(1661年)、越前国南条郡大道村の妙泰寺十三世日琢を招請し、松岡観音町に創建された[1][2]正徳3年(1713年)頃の松岡家中絵図(松平文庫)によると、当寺は松岡観音町南裏側に所在していた[3]。当初、妙泰寺と号したが、大道村の妙泰寺と同名であったことから、泰遠寺へと改称した[1]

享保6年(1721年)、福井藩松平吉邦が没し、その兄であった松岡藩主松平宗昌(当時の名乗りは昌平)が本藩である福井藩を継ぐこととなり、松岡藩は福井藩に併合された。これに伴い、旧松岡家中は享保10年(1725年)から元文4年(1739年)にかけて福井へ引き移り、家中を檀越としていた当寺も、寛保元年(1741年)、松岡より福井城足羽山南に位置する現在地に移転した[3][4]

当寺に葬られた人物としては、越前松岡藩士で軍学者片山良庵[5]、福井藩士で歌人の笹川道張がいる[6]

松岡時代の当寺には築山が隣接していたが、後代に至って古墳であったことが判明し、泰遠寺山古墳と名付けられた[7]

交通アクセス

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脚注

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  1. ^ a b c 『稿本福井市史 下巻』456頁
  2. ^ 「近世福井城下における寺町・寺院集積地の景観形成と地域性」71頁
  3. ^ a b 『福井県の地名』221頁
  4. ^ 「近世福井城下における寺町・寺院集積地の景観形成と地域性」64頁、71頁
  5. ^ 『若越墓碑めぐり』4頁
  6. ^ 笹川 道張 - デジタルアーカイブ福井”. 福井県文書館・図書館・ふるさと文学館. 2020年11月14日閲覧。
  7. ^ 『角川日本地名大辞典 18 福井県』396頁

参考文献

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関連文献

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  • 野村英一『松岡町史 上巻』(松岡町,1978)

関連項目

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