中央区立泰明小学校
中央区立泰明小学校 | |
---|---|
北緯35度40分20.6秒 東経139度45分41.4秒 / 北緯35.672389度 東経139.761500度座標: 北緯35度40分20.6秒 東経139度45分41.4秒 / 北緯35.672389度 東経139.761500度 | |
過去の名称 |
東京府公立泰明小学 東京府東京市泰明尋常小学校 泰明国民学校 東京都中央区立泰明小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 中央区 |
設立年月日 | 1878年(明治11年)6月25日 |
学校コード | B113210200021 |
小学校コード | 202020 |
所在地 | 〒104-0061 |
東京都中央区銀座5丁目1番13号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
中央区立泰明小学校(ちゅうおうくりつ たいめいしょうがっこう)は、東京都中央区銀座5丁目にある区立小学校。
概要
[編集]校舎は、1923年の関東大震災の教訓から、通常の壁厚が15cm程度であるのに対し22cmを有する堅牢なつくりとし、第二次世界大戦の東京大空襲の爆撃にも耐えて現在に至っている。外観は、ツタの絡まる校舎の外壁や、連なる3階の半円形の窓、円形に張り出した講堂、緑を伴うアーチ型の開口を有する塀、“フランス門”と呼ばれる瀟洒なデザインの門扉などの特徴を有している。また、講堂と雨天体操場が上下二層構造となっており、隣接する数寄屋橋公園等も一体で計画されている点、工夫の凝らされた配置計画などと相まって、都心の狭小敷地にありながら、良好な日照条件と外遊びの空間を確保し、明るく快活な校風形成の源泉ともなっている[要出典]。
関東大震災後に建設されたいわゆる復興小学校の中でも、中央区立常盤小学校と共に東京都選定歴史的建造物に選定、及び経済産業省近代化産業遺産に認定され、歴史的な建造物として高く評価されている。また、泰明小学校卒業後に麻布中学校や日比谷高校、さらに東京大学へと進学していったエリートラインの一翼としても知られていた[1]。
中央区が実施している特認校のひとつに指定されている[2]。中央区内では「学区外からも通え、少人数教育でもあり、毎年抽選となる人気の特認校」[3]と見られることがある。
沿革
[編集]- 1878年(明治11年)6月25日[4] - 東京府公立泰明小学として創立。当時の校舎は、赤レンガ校舎だった[5]。
- 1888年(明治22年)2月25日 - 校章「星に泰」制定[5]。
- 1904年(明治37年) - 泰明同窓会結成[5]。
- 1905年(明治38年) - 泰明保護者会結成[5]。
- 1907年(明治40年) - 東京府東京市泰明尋常小学校と校名変更[5]。
- 1909年(明治42年) - 校歌「みそらの星」制定[5]。
- 1912年(明治45年) - 校舎改築し、木造モルタル校舎竣工[5]。
- 1923年(大正12年)9月1日 - 関東大震災によって木造校舎(木造モルタル)焼失[5]。焼跡で、露天授業開始。
- 1929年(昭和4年)6月 - 鉄筋コンクリート造3階建の現校舎再建[5]。
- 1941年(昭和16年)4月 - 国民学校令により、泰明国民学校と改称[6]。
- 1944年(昭和19年) - 4月 - 戦局の悪化により、埼玉県大里郡新会村と八基村(いずれも現在の深谷市)に学童疎開[5]。
- 1945年(昭和20年)
- 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革により、東京都中央区立泰明小学校と校名変更[5]。
- 1948年(昭和23年)6月 - 泰明小学校PTA結成[5]。
- 1952年(昭和27年) - 校舎の全ての復旧工事が完了[6]。
- 1953年(昭和28年)5月 - 泰明幼稚園創立[5]。
- 1958年(昭和33年)8月 - プール(小・幼)竣工[5]。
- 1978年(昭和53年)10月 - 100周年・幼稚園25周年記念式典挙行[5]。
- 1986年(昭和61年)11月 - 伊豆大島三原山噴火による避難住民を受け入れ、児童交流学習を行った[5]。
- 1999年(平成11年)10月 - 本校校舎が、東京都の歴史的建造物に選定される[7]。
- 2000年(平成12年)4月 - 中央区立泰明小学校と校名変更[5]。
- 2009年(平成21年)4月 - 中央区特認校となる[5]。
- 2011年(平成23年)7月 - 東日本大震災復興募金実施[5]。
- 2016年(平成28年)4月 - オリンピック・パラリンピック教育協力指定校となる[5]。
- 2017年(平成29年)4月 - 東京都教育委員会オリンピック・パラリンピック教育アワード校表彰[5]。
- 2018年(平成30年) - 新入生の標準服にアルマーニ製を採用[8](学童服#標準服の採用を巡る問題)
教育目標
[編集]教育目標(目指す子どもの姿)は下記のとおりである[9]。
- よく考える子ども
- 思いやりのある子ども
- たくましい子ども
校歌
[編集]作詞は武島羽衣、作曲は岡野貞一による。1909年(明治42年)6月16日採用認可[10]。
学区
[編集]銀座一丁目[2~10番、11番(1,2号)]、銀座二丁目[2~9番]、銀座三丁目[2~8番]、銀座四丁目[1~8番]、銀座五丁目~八丁目が通学区域[11]。
- 小学校の児童数と教員数[12]
年度 | 児童総数 | 1年生 | 2年生 | 3年生 | 4年生 | 5年生 | 6年生 | 教員数 | 職員数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
令和元年 | 331人 | 58人 | 55人 | 58人 | 58人 | 55人 | 47人 | 18人 | 3人 |
令和2年 | 328人 | 50人 | 56人 | 54人 | 58人 | 58人 | 52人 | 18人 | 3人 |
令和3年 | 330人 | 59人 | 50人 | 54人 | 54人 | 57人 | 56人 | 18人 | 3人 |
令和4年 | 316人 | 52人 | 38人 | 47人 | 51人 | 52人 | 56人 | 18人 | 2人 |
令和5年 | 293人 | 43人 | 49人 | 56人 | 45人 | 48人 | 52人 | 18人 | 2人 |
学校周辺
[編集]- 中央区立泰明幼稚園 - 進級前幼稚園かつ、同一建物内に同居。
- 中央区立数寄屋橋公園 - 敷地が隣接。
- 東京高速道路KK線
- 東京メトロ日比谷線・丸ノ内線銀座駅
- 警視庁築地警察署数寄屋橋交番
- 東急プラザ銀座
- 東京都道304号日比谷豊洲埠頭東雲町線
- 東京都道405号外濠環状線
- JR東日本山手線・京浜東北線有楽町駅
- 有楽町マリオン
- このほか、東京メトロ銀座・JR有楽町の両駅周辺には、商業施設などが点在する。
アクセス
[編集]- 東京メトロ銀座駅から、徒歩。なお、学校最寄りの出口は「C2」となる。
- JR東日本有楽町駅(銀座口)から、徒歩。
- 都営バスで、地下鉄銀座駅やJR有楽町駅周辺の停留所から、徒歩。
- なお、学校に一番近い停留所は、「銀座」停留所となる。
著名な出身者
[編集]脚注
[編集]- ^ 「東京23区教育格差」 p121,マイクロマガジン社, 昼間たかし, 鈴木士郎 2016年
- ^ “小学校特認校制度”. 中央区. 2018年3月1日閲覧。
- ^ “5人が入学辞退 制服問題の小学校 民間会社に警備依頼”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2018年2月28日) 2018年3月1日閲覧。
- ^ 東京都公立学校一覧 (PDF) - 東京都教育委員会
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w “学校沿革史”. 中央区立泰明小学校. 2018年2月15日閲覧。
- ^ a b c 焼けただれた泰明小学校 - 中央区ホームページ内
- ^ 中央区立泰明小学校 - 株式会社錢高組(これに該当の記述がある)
- ^ “新1年生に「アルマーニ」保護者の反応は”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2018年2月8日) 2018年2月8日閲覧。
- ^ “学校概要”. 中央区立泰明小学校. 2018年2月15日閲覧。
- ^ “歌曲採用認可”. 官報. (1909年6月16日) 2021年7月30日閲覧。
- ^ “区立学校一覧”. 中央区. 2018年2月15日閲覧。
- ^ 東京都教育委員会「令和5年度 公立学校統計調査報告書」統計・調査、2023年10月26日、2023年11月4日閲覧
- ^ 奥野良「松沢一鶴氏経歴」『水泳』第160号、日本水泳連盟、1965年7月、9頁。