波多野検校
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波多野 検校(はたの けんぎょう、生年不詳 - 1651年(慶安4年)[1])は、江戸時代前期の琵琶奏者である。諱は孝一[1](考一とも[1])。波多野流を創始した事で知られている。
経歴・人物
[編集]京都の生まれ。幼年期に盲目となり、一方流師道派に属する山中検校(山中休一)の門人となり[1]、琵琶奏法を主に学ぶ。後に八坂流の長原某の教えを受け[1]、「波多野流」を創始した[1]。波多野流は。同時期に活躍した前田検校が創始した「前田流」と共に、当時の琵琶奏法の双璧となった[1]。1634年(寛永11年)小池凡一らと当代式目の制定に参加した[1]。後に江戸に出て、当時江戸幕府の将軍であった徳川家光の恩恵を受けたことにより、江戸宗匠に認定された[要出典]。さらに晩年から5年前からは職検校にも認定された[1]。
弟子
[編集]直弟子
[編集]- 岸部検校(城郡) ‐坊主は藤田城けい(延享2年権成)。安永2年権成。京都で波多野流平曲を継承
孫弟子
[編集]- 岸並検校(城民) - 岸部の弟子。寛政8年権成。84代職総検校(京都)