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法運寺 (中野市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
法運寺
所在地 長野県中野市中央2丁目1番6号
位置 北緯36度44分37.5秒 東経138度22分20.5秒 / 北緯36.743750度 東経138.372361度 / 36.743750; 138.372361座標: 北緯36度44分37.5秒 東経138度22分20.5秒 / 北緯36.743750度 東経138.372361度 / 36.743750; 138.372361
山号 小石山
院号 龍泉院
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 1551年
開山 円蓮社光誉上人竜光大和尚
法人番号 2100005005404 ウィキデータを編集
法運寺の位置(長野県内)
法運寺
法運寺
法運寺 (長野県)
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法運寺(ほううんじ)は、長野県中野市中央にある浄土宗の寺院である。山号は小石山、院号は龍泉院。本山は京都の知恩院

概要

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室町時代末期の1551年天文20年)に円蓮社光誉上人竜公大和尚(鎌倉の光明寺然与の弟子)が開山し、長沼城主・島津忠直が25石を寄進し、開基となる。

1870年明治3年)中野騒動により、中野県庁が焼失、近隣にあった法運寺が仮庁舎として利用された。1979年(昭和54年)法運寺境内に中野騒動の殉難者を慰霊する為、聖観世音菩薩像が建立[1][2]

本尊は竜公が鎌倉より供奉した阿弥陀如来で、左手には法然上人像や竜公像、右手には善導大師像などがある。

山門

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法運寺山門は切妻、桟瓦葺き、三間一戸、桁行3間、張間2間、八脚単層門[1]

本堂

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本堂は木造平屋建て、寄棟、鉄板葺き、平入、桁行6間、正面1間唐破風向拝付き、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、唐破風懸魚には鳳凰、向拝欄間部には龍、木鼻には獅子の精緻な彫刻が施され、内部の内陣には本尊となる釈迦如来像が安置されている[1]

歴史

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  • 1551年(天文20年) 円蓮社光誉上人竜公大和尚が中野市更科に開山。
  • のち中野市中央に移し小石山竜泉院法運寺とする。
  • 1578年(天正6年) 夜間瀬川の氾濫により寺流失。
  • 1582年(天正11年) 本堂と庫裡を再建。
  • 1600年(慶長5年) 末寺(小林山光念寺)を小田中に創立。
  • 1684年(貞享) 梵鐘を鋳造。
  • 1717年(享保2年) 本堂改築。
  • 1830年(文政13年)から1843年(天保13年) お堂の修繕・仁王門改築・庭(竜泉庭)改築。
  • 1934年(昭和9年)から 本堂・庫裡・仁王門・諸舎・塀・垣根の改築(二十八世正道和尚)。
  • 1939年(昭和14年) 竜泉庭の改造着工[2]

境内

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  • 本堂
  • 庫裡
  • 仁王門
  • 鐘楼
  • 教蔵
  • 衆寮
  • 県官大塚正徳の碑[2]

歴代

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  • 二十八世 - 正道和尚
  • 二十九世 - 竹内興道[2]

脚注

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参考文献

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  • 信濃の寺刊行会「法運寺」『信濃の寺』信濃の寺刊行会、1970年2月15日、80-83頁。 
  • 『信州の文化シリーズ 寺と神社』 信濃毎日新聞社、1981年
  • 『探訪 信州の古寺 浄土教・日蓮宗』 郷土出版社、1996年

関連項目

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