法華寺 (今治市)
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法華寺 | |
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所在地 | 愛媛県今治市桜井甲243 |
位置 | 北緯34度0分54.8秒 東経133度2分0.6秒 / 北緯34.015222度 東経133.033500度座標: 北緯34度0分54.8秒 東経133度2分0.6秒 / 北緯34.015222度 東経133.033500度 |
山号 | 補陀落山 |
宗派 | 真言律宗 |
寺格 | 別格本山 |
本尊 | 十一面観世音菩薩 |
創建年 | 天平13年 |
開山 | 光明皇后 |
札所等 |
新四国曼荼羅霊場37番札所 伊予府中十三仏霊場10番札所 |
文化財 | 伊予国分尼寺跡(県指定史跡) |
法人番号 | 2500005005207 |
法華寺(ほっけいじ)は、愛媛県今治市桜井に所在する真言律宗の寺院である。本尊は十一面観音菩薩。新四国曼荼羅霊場第三十七番札所である。
御詠歌:法の華 咲きほこりたる 補陀落の 寺に詣るは 後の世の為
概要
[編集]奈良時代の天平13年(741年)、聖武天皇と光明皇后の勅願によって建立された伊予国の国分尼寺(法華滅罪寺)であり、開基は南部の証繭大厄公、 本尊は(伝)行基作の十一面観世音菩薩で、光明皇后の姿を写したと伝えられている。創立時は、華厳宗東大寺に属していたが、平安時代の弘仁6年(815年)に空海が来訪した際に真言の教えを説かれ、この時より真言宗に改めたと伝えられている。さらに鎌倉時代の建治元年(1275年)、後宇多天皇の勅命により、西日本の国分寺、国分尼寺と共に真言宗西大寺の末寺となり、現在に至っている。
境内の下に見える今治市立桜井小学校から南へJR予讃線沿いに伊予桜井駅近くまで達する広大な寺域であったが、三度の戦乱(治承・寿永の乱、南北朝の戦い、豊臣秀吉の四国攻め)によりことごとく焼失し、そのため江戸時代の寛永2年(1625年)に今の高台に移った。全国の国分尼寺はほとんどが跡だけになっているが、当山は寺院として存立し法灯をつないでいる。
境内
[編集]文化財
[編集]- 県指定史跡
- 国分尼寺塔跡:方形の敷地に巨大な花崗岩の自然石が6個約2mの間隔に並び赤土・石灰土を底から固めて礎石をすえている。山門下のJR踏切を線路に沿って上り方向へ約500m行った次の踏切から山側に見える。昭和31年11月3日指定
- 今治市指定有形文化財
- 木造阿弥陀仏坐像:昭和50年9月2日指定
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大師堂
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瑜伽大権現堂
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国分尼寺塔跡
前後の札所
[編集]参考文献
[編集]- 新曼荼羅霊場会/監修 『新四国曼荼羅霊場ガイドブック』えびす企画/刊 2007年1月