法師岡館
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法師岡館 (青森県) | |
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城郭構造 | 平山城(居館) |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 小笠原兵部、櫛引清政? |
廃城年 | 天正19年(1591年) |
遺構 | 曲輪 |
指定文化財 | 史跡等未指定[1] |
埋蔵文化財 包蔵地番号 |
県№445137 「法師岡館遺跡」[2] |
位置 | 北緯40度28分11.0秒 東経141度24分39.0秒 / 北緯40.469722度 東経141.410833度座標: 北緯40度28分11.0秒 東経141度24分39.0秒 / 北緯40.469722度 東経141.410833度 |
地図 |
法師岡館(ほうしおかだて)は、青森県三戸郡南部町法師岡にあった日本の城。
沿革
[編集]同町法師岡集落の東方にある、馬淵川右岸の北側に張り出した小丘陵の上に建てられていた[2]。
北方は川に面して急崖をなし、東側も急崖で、谷底は現在水田であるが、往時は水堀であったという。大手口東門は櫛引城に、西門は法師岡集落に通じていた。
築城時期は不明。館の由来は明らかでないが、南部氏の根城八館の一つで、天正年間(1573年-1592年)には櫛引氏一族の小笠原兵部、あるいは櫛引清長の弟・櫛引清政が居住した。
館主・小笠原兵部は、天正19年(1591年)の九戸政実の乱で九戸氏側に与し、櫛引清長らと共に九戸に入城したため、館は根城の八戸弥六郎および中野館の中野氏の攻撃を受けて陥落した。
平成14年(2002年)度農村振興総合整備事業にともなう試掘調査が青森県教育委員会により実施された[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 児玉幸多、坪井清足『日本城郭大系 第2巻 青森・岩手・秋田』新人物往来社、1980年7月15日。
- 青森県埋蔵文化財調査センター 2005『青森県埋蔵文化財調査報告書387:法師岡館遺跡』青森県教育委員会