泉嘉郎
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 三重県三重郡朝日町 |
生年月日 | 1945年11月16日(78歳) |
身長 体重 |
cm 77 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1964年 |
初出場 | 1968年7月12日 |
最終出場 | 1970年4月24日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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泉 嘉郎(いずみ よしお、1945年11月16日 - )は三重県三重郡朝日町[1]出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
[編集]三重県立菰野高等学校から、1964年に南海ホークスへ入団[1]。1968年、初の一軍昇格を果たし、6試合登板した[1]。
1969年には開幕投手も務めた。これは、前年に31勝を挙げたエース皆川睦男が開幕直前に故障したこと、自身がオープン戦で好調だったことによる。この年はプロ初勝利も含め3勝を挙げ、シーズン最終戦(対東映フライヤーズ)では唯一の完投勝利も記録している。
選手としての特徴
[編集]下手投げから、スライダーとカーブを武器とした。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1968 | 南海 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | ---- | 56 | 12.0 | 19 | 2 | 1 | 0 | 1 | 6 | 0 | 0 | 11 | 9 | 6.75 | 1.67 |
1969 | 28 | 4 | 1 | 0 | 0 | 3 | 1 | -- | -- | .750 | 332 | 78.1 | 86 | 11 | 13 | 0 | 3 | 45 | 1 | 0 | 37 | 31 | 3.58 | 1.26 | |
1970 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | ---- | 4 | 1.0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 2.00 | |
通算:3年 | 35 | 4 | 1 | 0 | 0 | 3 | 1 | -- | -- | .750 | 392 | 91.1 | 107 | 13 | 14 | 0 | 4 | 51 | 1 | 0 | 48 | 40 | 3.96 | 1.32 |
記録
[編集]- 初登板:1968年7月12日、対東京オリオンズ13回戦(東京スタジアム)、3回裏無死から3番手で救援登板、4回4失点
- 初先発登板:1969年4月12日、対ロッテオリオンズ1回戦(東京スタジアム)、4回3失点(自責点2)で勝敗つかず
- 初勝利:1969年4月17日、対近鉄バファローズ1回戦(大阪球場)、3回表から2番手で救援登板・完了、7回2失点
- 初先発勝利・初完投:1969年10月18日、対東映フライヤーズ26回戦(後楽園球場)、9回4失点
背番号
[編集]- 53 (1964年 - 1970年)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 泉嘉郎 - NPB.jp 日本野球機構
- 公益社団法人全国野球振興会 プロ野球OBクラブ OB検索