河野和久
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名前 | ||||||
カタカナ | コウノ カズヒサ | |||||
ラテン文字 | KONO Kazuhisa | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1950年12月30日 | |||||
出身地 | 広島県 | |||||
身長 | 168cm | |||||
体重 | 60kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
ユース | ||||||
1966-1968 | 山陽高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1969-1980 | 日立製作所 | 113 | (0) | |||
通算 | 113 | (0) | ||||
代表歴 | ||||||
1974 | 日本 | 1 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
河野 和久(こうの かずひさ、1950年12月30日 - )は広島県出身の元サッカー選手。ディフェンダー(DF)。
来歴
[編集]山陽高等学校では崎谷誠一、平田和資らと共に1967年全国高等学校サッカー選手権優勝(洛北と両校優勝)[1]、国体3位[2][3]。3年時の翌1968年全国高等選手権は準優勝(0ー1初芝)[4]。ユース日本代表にも選出され、1969年第11回アジアユース選手権(AFCユース選手権)に出場した。この時の代表メンバーは18人中9人が広島出身者の同学年で[5]、多くが日本サッカーリーグ(JSL)各チームの主力選手として活躍した[1]。(詳細は崎谷誠一の項目を参照)。
高校卒業後、日立入りし、忠実なサイドバックとして長くレギュラーとしてプレーした[1]。日本代表としても、国際Aマッチ1試合に出場した。
所属クラブ
[編集]- 広島山陽高等学校
- 1969年-1980年 日立本社/日立製作所
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1969 | 日立 | 25 | JSL | 2 | 0 | - | - | 2 | 0 | ||
1970 | 17 | 0 | 0 | - | |||||||
1971 | 4 | 0 | - | ||||||||
1972 | JSL1部 | 1 | 0 | - | |||||||
1973 | 5 | 18 | 0 | ||||||||
1974 | 11 | 0 | - | ||||||||
1975 | 18 | 0 | - | ||||||||
1976 | 14 | 0 | |||||||||
1977 | 17 | 0 | |||||||||
1978 | 2 | 12 | 0 | ||||||||
1979 | 8 | 0 | |||||||||
1980 | 8 | 0 | |||||||||
通算 | 日本 | JSL1部 | 113 | 0 | |||||||
総通算 | 113 | 0 |
代表歴
[編集]試合数
[編集]- 国際Aマッチ 1試合 0得点(1974)
日本代表 | 国際Aマッチ | その他 | 期間通算 | |||
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年 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
1974 | 1 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 |
通算 | 1 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 |
出場
[編集]No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
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1. | 1974年02月20日 | 香港 | 香港 | △0-0 | 長沼健 | 国際親善試合 |
出典
[編集]外部リンク
[編集]- 河野和久 - National-Football-Teams.com
- 河野和久 - Transfermarkt.comによる選手データ