河西健一
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河西 健一(かさい けんいち、1916年(大正5年)10月31日 - 1992年(平成4年)2月16日)は、日本の鉄鋼技術者。
経歴
[編集]- 1916年(大正5年)10月31日、東京府に生まれる。
- 1941年(昭和16年)12月、東京帝国大学工学部卒業。
- 1942年(昭和17年)住友金属工業(株)入社。
- 1961年2月、住友金属工業和歌山製造所勤務の時、自溶性焼結鉱を実用化した功績で、「米国鉱山・冶金・石油技術者協会」(AIME, the American Institute of Mining, Metallurgical, and Petroleum Engineering)[1]のロバート・ハント賞(Robert Hunt Award)を、土井寧文と共に受賞した[2]。米国内外から提出された約30篇のAIME招待論文の中で、河西らの論文は受賞した唯一の論文だった[3]。自溶性焼結鉱とは、砕いた鉄鉱石に石灰石粉末を添加し、溶融結合させた焼結鉱のことで、この発明・実用化によって製鉄高炉の生産性は著しく向上した[3][4][5]。日本の高度経済成長期を支えた、製鉄など基幹産業における重要な技術開発の一つだったといってよい。
- 1978年(昭和53年)住金化工(株)社長。
- 1978年(昭和53年)紫綬褒章受賞。
- 1984年(昭和59年)住金化工(株)会長。
- 1986年(昭和61年)勲三等瑞宝章受賞[6]。
- 1992年(平成4年)2月16日 死去、享年76。
出典
[編集]- ^ “The American Institute of Mining, Metallurgical, and Petroleum Engineering”. The American Institute of Mining, Metallurgical, and Petroleum Engineering. 2017年5月1日閲覧。
- ^ 『住友金属工業最近十年史--- 創業七十周年記念』、住友金属工業編、193-194頁、1967年
- ^ a b 河西健一、学会誌『鉄鋼界』、昭和34年6月号、48-50頁、1959年
- ^ 河西健一, 「自溶性焼結鉱の製造と使用に関する研究」 学位論文・東京大学, 1962年, 報告番号不明, NAID 500000317991
- ^ 河西健一「随想」『鉄と鋼』第54巻第13号、日本鉄鋼協会、1968年、1325-1326頁、doi:10.2355/tetsutohagane1955.54.13_1325。
- ^ 河西健一、学会誌『アロマティックス』、第39巻、第3・4号、14-16頁、1987年