河村泰男
河村泰男(かわむら やすお、1908年5月7日 - 1997年10月13日)は日本のスピードスケート選手。滋賀県生まれ。
人物
[編集]1908年(明治41年)5月7日滋賀県大津市生まれ。1911年(明治44年)春、一家で朝鮮半島へ渡り、次いで満州へ移住。成人して冬季はスピードスケート、夏季は自転車競技、陸上競技に専念する。
1931年(昭和6年)、日本スピードスケート最初の海外遠征として欧州選手権(ストックホルム)、世界選手権(ヘルシンキ)等に参加。
1932年(昭和7年)のレークプラシッドオリンピック、1936年(昭和11年)のガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピックに参加。 1946年(昭和21年)夏、一家で旧満州から引き揚げ後大阪市、1947年(昭和22年)12月~石川県金沢市(体育協会)、1951年(昭和26年)夏~函館市(函館新聞・市役所・教育委員会)、1970年(昭和45年)札幌市(札幌オリンピック組織委員会)と移住。
1954年(昭和29年)世界スピードスケート選手権札幌大会に関わり、翌1955年2月モスクワ大会へ選手団コーチとして参加。終了後単身で欧州、北欧の競技施設視察。
函館時代、冬季のグランドに散水するスケート場造りに関わっていたところ、妻貞子発案によるビニールシートを布設して効率的に製氷する方法(函館方式)を取り入れた。1950年(昭和25年)頃から永年にわたり、国体ほか全国各地のスケート競技大会に関わる。
1963年~1964年 (昭和38年~39年)カーリングのストーンを鋳物で試作し、大沼公園でテストを実施してカーリングの日本での普及を試みた。
1971年(昭和46年) 札幌オリンピックスケート競技役員委嘱。
1985年(昭和60年) 第1回冬季アジア競技大会スケート競技委員委嘱。
札幌オリンピック後から市民ランナーとして少なくとも1987年(昭和62年)まで各地の市民マラソン大会に出場する。
訳書
[編集]- 1957年 M.P.ソコロフ著「アイススケート ソヴィエトの技術と練習法」
外部リンク
[編集]- Speed skating 1932+1936
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