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河崎蘭香

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
河崎蘭香

生誕 河崎(神山) 菊(キク)
1882年11月9日
愛媛県西宇和郡郷村(現八幡浜市郷)
死没 (1918-03-12) 1918年3月12日(35歳没)
東京都
墓地 八幡浜市郷 圓満寺蔵福寺
国籍 日本の旗 日本
教育 菊池芳文の画塾(京都府)、寺崎広業の塾(東京都)
著名な実績 美人画
代表作 「花のたより」
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河崎 蘭香(かわさき らんこう、1882年明治15年)11月9日 - 1918年大正7年)3月12日)は、西宇和郡郷村(現八幡浜市郷)生まれの日本画家。明治から大正にかけての女性日本画家上村松園と並び称されることもあたったが、若くして他界した。

生涯

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名を菊といい、実父は医師である神山謙斎であるが、明治8年(1890)郷村に開校した石堂小学校の校長河崎奨(たすく)郁(かおる)夫妻の養女となる。

小学校を卒業後、上京し音楽学校に入学。1年後に卒業すると、今度は画家を志し、明治32年(1899)には京都に移り住み菊池芳文(きくちほうぶん)の門下生となり、四条派の画法を学ぶ。

明治34年(1901)20歳の蘭香は、八幡浜栗野浦の八坂神社本殿の天井を飾る絵を30枚受け持ち、梶谷南海や他の郷土の画家とともに描き奉納。

明治35年(1902)11月に再び上京、東京美術学校の教授であった狩野派系の寺崎廣業(てらさきこうぎょう)の門下生となり、特に風俗・人物画の研鑽を重ね、絵画共進会にも入会。

明治40年代からは女性雑誌「女学世界」「婦女界」「婦人画報」などの口絵や表紙絵を担当し、精力的に活動して女性の人気をさらった。

私生活では、八幡浜市長を勤めた菊池清治の紹介で金森徳次郎と恋仲になるが、結婚には至らなかった。

1917年(大正6年)2月、養父が死去。体調を崩し箱根湯本で養生したが、翌年2月東京帝国大学病院青山内科に入院、3月12日午前3時頃死去。

最近の出来事

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  • 2017年3月7日、100回忌の法要[1]があった
  • 2018年10月、生誕地八幡浜で演劇公演「蘭香さん、いつまでも」[2]があった

出典

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参考文献

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  • 「美人画は語る」展実行委員会2017 『えひめの閨秀画家 河崎蘭香』 「美人画は語る」展実行委員会、2017年
  • 青幻舎プロモーション 『培広庵コレクション 美人画の四季』、2017年

関連項目

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外部リンク

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