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河口静雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

河口 静雄(かわぐち しずお、1898年11月14日[1] - 1991年12月19日)は、日本の実業家三共副社長、東京12チャンネルテレビ事業本部長を務めた。

経歴

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福岡県柳川市出身[1]。河口時次、トリの三男[1]1928年慶應義塾大学法学部を卒業し三共に入社[2]。資材部長、取締役、常務、専務を経て[1]1962年から副社長を務め、1964年から三共化成工業社長を務めた[2]1969年には当時経営不振に陥っていた東京12チャンネルテレビ事業本部長に就任し、同社の再建に当たった[3]。全日本広告連盟理事長、日本広告審査機構理事長なども歴任し、広告界の重鎮として活躍した[4]1967年には日本宣伝大賞を授賞[5]、1969年には勲三等瑞宝章を受章した[1]

1991年12月19日心不全のために東京都の自宅で死去[4]。93歳没。

死後の1996年にはマスコミ功労者顕彰の広告部門での表彰を受けている[6]

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f 人事興信所 1975, か301頁.
  2. ^ a b 1967年4月21日 読売新聞 朝刊 p2
  3. ^ 1969年10月28日 読売新聞 朝刊 p2
  4. ^ a b 1991年12月20日 日本経済新聞 夕刊 p23
  5. ^ 「全広連日本宣伝賞」松下賞 受賞者
  6. ^ マスコミ功労者顕彰 - Knowledge & Data(ナレッジ&データ) - 電通ウェブサイト
  7. ^ 『NPOの実践経営学』著者紹介。

参考文献

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  • 人事興信所 編『人事興信録 第28版 上』人事興信所、1975年。 
  • 河口弘雄 著『NPOの実践経営学』同友館、2001年。