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沖貞男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
沖貞男

沖 貞男(おき さだお、1888年明治21年)2月11日[1] - 1950年昭和25年)10月16日[1][2])は、大正から昭和前期の政治家教育者華族貴族院男爵議員

経歴

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本籍・神奈川県[2]内務官僚沖守固庶子として生まれる[1][3]。父の死去に伴い、1912年(大正元年)11月11日、男爵を襲爵した[1][3][4]

1917年(大正6年)4月、京都帝国大学法科大学政治学科を卒業[1][3][5]1924年(大正13年)帝都復興院嘱託となる[2]。その後、復興局整地部事務嘱託、三峯住宅監査役、中野高等無線電信学校長などを務めた[2][3]

1925年(大正14年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[6][7]1939年(昭和14年)7月9日まで2期在任[2]。さらに、1946年(昭和21年)6月29日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[8][9]公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]

親族

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  • 妻:楳(うめ、山田松三郎長女)[1]
  • 養子・甥:輝道(医師、弟貞次の長男)[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成 上巻』355頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』67頁。
  3. ^ a b c d 『人事興信録 第14版 上』オ232頁。
  4. ^ 『官報』第86号、大正元年11月12日。
  5. ^ 『京都帝国大学一覧 自大正6年 至大正7年』京都帝国大学、1918年、326頁。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、34頁。
  7. ^ 『官報』第3871号、大正14年7月18日。
  8. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、57頁。
  9. ^ 『官報』第5846号、昭和21年7月11日。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
沖守固
男爵
沖(守固)家第2代
1912年 - 1947年
次代
華族制度廃止