沖貞男
表示
沖 貞男(おき さだお、1888年(明治21年)2月11日[1] - 1950年(昭和25年)10月16日[1][2])は、大正から昭和前期の政治家、教育者、華族。貴族院男爵議員。
経歴
[編集]本籍・神奈川県[2]。内務官僚・沖守固の庶子として生まれる[1][3]。父の死去に伴い、1912年(大正元年)11月11日、男爵を襲爵した[1][3][4]。
1917年(大正6年)4月、京都帝国大学法科大学政治学科を卒業[1][3][5]。1924年(大正13年)帝都復興院嘱託となる[2]。その後、復興局整地部事務嘱託、三峯住宅監査役、中野高等無線電信学校長などを務めた[2][3]。
1925年(大正14年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[6][7]、1939年(昭和14年)7月9日まで2期在任[2]。さらに、1946年(昭和21年)6月29日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[8][9]、公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
---|---|---|
先代 沖守固 |
男爵 沖(守固)家第2代 1912年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |