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沖田林太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

沖田 林太郎(おきた りんたろう 文政9年2月22日1826年3月30日)- 明治16年(1883年2月13日)は、江戸時代末期(幕末)の新徴組隊士。妻は沖田みつ。弟(義弟か実弟かは不明)に櫛羅藩士(卒族)島田勝次郎。義弟に新選組隊士沖田総司。義妹に沖田キン。諱は房政、元常。

生涯

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文政9年(1826年)、八王子千人同心の井上家に生まれる。近藤周助の門人となって天然理心流剣術を学び免許を得た。

弘化3年(1846年)、沖田みつと結婚して沖田家の家督を継ぐ。嘉永6年(1853年)、長男・芳次郎が生まれる。

文久3年(1863年)、浪士組近藤勇、沖田総司とともに参加。三番組(小頭・新見錦)に属してへ上る。浪士組の帰東に際して近藤ら天然理心流一門は京に残留するが、これに加わらず江戸へ帰る。後に浪士組は新徴組に改編されて庄内藩御預かりとなり、林太郎は組頭を務め江戸市中警護にあたった。慶応4年(1868年)、江戸幕府が消滅し庄内藩主・酒井忠篤は領国の出羽国庄内に戻ると、これに同行。明治5年(1872年)になって東京へ戻った。

明治16年(1883年)、死去。