沖島鎌三
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沖島 鎌三(おきしま かまぞう、1885年3月15日[1] - 1975年6月19日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。
経歴
[編集]島根県出身[3]。1906年日本大学専門部法律科卒[3]。南樺太に渡り、樺太合同運輸(株)取締役[3]、(株)豊北木工場取締役社長、豊原町商業会議所特別議員、樺太日日新聞社長を経て[2]、農林大臣秘書官、北日本製紙(株)会長、日本麻紡績協会会長となる[2]。
1928年の第16回衆議院議員総選挙では島根2区から中立系(無所属)で立候補して初当選[4]。1930年の第17回衆議院議員総選挙では立憲政友会公認で立候補したが落選[5]。1932年の第18回衆議院議員総選挙で当選[6]。1936年の第19回衆議院議員総選挙で落選[7]。1937年の第20回衆議院議員総選挙で当選[8]。1942年の第21回衆議院議員総選挙では大政翼賛会の推薦を受けたが落選した[9]。終戦後、公職追放となった[10]。1951年追放解除[11]。1975年死去。墓所は多磨霊園。
脚注
[編集]- ^ 衆議院『第七十二回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1937年、23頁。
- ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』152頁。
- ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』151頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』85頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』95頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』103頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』111頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』119頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』130頁。
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、一般該当者名簿479頁。公職追放の該当事項は「推薦議員」。
- ^ 『朝日新聞』1951年6月19日朝刊1面。
参考文献
[編集]- 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。