沈清伝
沈清伝(しんせいでん、シムチョンジョン;沈淸傳 심청전)は、孝女を主題とした朝鮮李朝後期の古典小説。元はパンソリなどで語り継がれていたものを、18世紀末頃に小説として成立したと考えられるが、作者不明。
20世紀初頭に出版された木版本のうち、
概説
[編集]ハングル小説のうちでも、儒教の「孝」を主題としたもっとも典型的な作品といわれる[1]。
朝鮮の『三綱行実図』삼강행실도(15世紀)の影響がみられる[1]。
主人公の沈清は、盲目の父親の治癒回復を願かけるため、その布施米の調達のために身売りをおこなうが、『さよひめ』の御伽草子でも佐用姫が父親の供養の費用を賄うため身売りをし、いずれの場合も竜蛇の水神への生贄にされるためその生命を売るという共通点が指摘される。その他、細部においても対比が試みられている[2]。
成立・諸本
[編集]沈清の伝説は、民話ではないともいわれ[3]、近世に起こった口承文芸のパンソリとして演じられおり、そこから18世紀末頃に「沈清伝」の小説に起こされたものというのが一説である[4]。一方で、説話にはじまりパンソリを経て〈パンソリ系小説〉となった作品と、説話から小説化されパンソリに転じた〈文章体小説〉と併存するという考えもある[1]。
〈パンソリ系小説〉『沈清伝』は、おおよそ「完板本」(Wanpan-bon、古地名の
〈文章体小説〉『沈清伝』は「京板本」(ソウルで刊行の意)という異本系統に属す[2][5][1]。この、ソウル刊行の木版本群(「京板本」)は、1910年代頃までに発行されたもので、とくに
- 申在孝本、朴順浩蔵本
申在孝の著作による『沈清歌』は推定年代が1870年で[9]、上述の「完板本」・「京板本」ら20世紀の木版本より古い。
朴順浩蔵本は、"初期沈清伝の特徴を最もよく表しているといわれる"、初期パンソリ辞説(台本)で、推定年代は18世紀初頭[10]。
- 沈清歌も含めた異本
『沈清伝』はあくまで小説で、パンソリの台本/唱本の場合は「沈清歌」と呼ぶのが慣習であるとされる[7]。しかしキム・ジニョン・他(編)『沈清伝全集』に所収された異本の中にはパンソリの唱本も含まれている[11][12][注 2]。
よってこの広義での『沈清伝』の異本は、上述の〈文章体小説〉と〈パンソリ系小説〉に、パンソリの唱本・採録である〈パンソリ辞説〉も含めて80余あるとも[14] 、100余あるともされている[5][注 3]。
- 沈清クッ
このほか、
根源説
[編集]根源については諸説ある。
現存最古の朝鮮史書『三国史記』や『三国遺事』 の孝行説話を素材にして創作されたという説を金台俊が立てている[注 4][2][17]。とりわけ「居陀知」(『三国遺事』二巻)には、犠牲として池に投げ込まれる要素と、竜が花に変化するという共通要素がみられる[注 5][19][20]。
これに対し、巫歌が起源であるとする学説も存在するが(金泰坤など)、パンソリという文芸そのものの起源としては、巫歌から発展したとの説が有力視されている[14]。ほかにも『沈清伝』は、あくまで口伝説話に取材したとの意見がみられる[21]。
人口への膾炙
[編集]ハングル小説として婦女子に多く読まれたもので[要出典]、儒教が説く孝道を奨励する役目を果たしている。
粗筋
[編集]「沈清クッ」の巫歌版にもあり[16]、小説(京板本、完板本)[22]とおおよそ共通する粗筋は次のようなものである:
宋代の頃、朝鮮北部(黄海道[23])黄州の桃花洞に沈清(シムチョン)は生まれた。父母が神仏祈願して授かった子だったが、母親(郭氏[注 6])は出産にともなう病気で死に、盲目である父親の沈鶴圭(ちんかくけい、シム・ハッキュ)に育てられる[注 7]。沈清は恩に感じて七歳になると生計のために物乞いに出る。ある日、僧から供養米三百石を仏様に供養すれば、父の目が開くと聞かされ、その布施米を工面するため、商人たちに代価として自分を身売りする。これは印塘水(インダンス)という海/航路の竜王に捧げる犠牲となるためで、事実上、その命を売ったのであった。彼女は印塘水に身を投ずるが、最高神たる玉皇上帝の慈悲を受け、その命により竜王によって竜宮でもてなしを受ける。やがて神から彼女を地上に戻せとの命がくだり、竜王は彼女を蓮の花に入れて「印塘水」の水面に浮かばせる。商人たちがこの花を皇帝に献上するとなかから美しい彼女が現れ、王様に見染められ王妃となった。沈清は父に会いたくなり(理由を伏せて)盲人のための宴を開催してほしいとたのむ。そこで父娘は再会を果たし、嬉しさのあまりに、盲人の眼が開いた[16][1][4][25]。
小説版には後半部があり、供養米(小説では米二百石と三百両と布など、異本によって様々[24]。)も効き目がなく、無駄に娘を失ったと思った父の沈鶴圭は、ペンドクと言う名の淫女を妻にして狂態を演じる[4][26][27]。その悪妻は、沈盲人を捨てて金持ちの黄盲人と駆け落ちする。沈のみならず、盲人宴に集った盲人すべてが視覚をとりもどすが、ただひとり黄盲人だけ治癒しない、あるいは黄盲人とペンドクは処刑される、など諸本に拠って顛末が異なる[28]。
翻訳書
[編集]- 『韓国古典文学の愉しみ〈上〉春香伝 沈清伝』仲村修 編集、オリニ翻訳会 翻訳、白水社、2010年3月、ISBN 978-4560080573
- 申在孝著、姜漢永・田中明訳注『沈睛歌』(『パンソリ』所収・平凡社・東洋文庫)
注釈
[編集]- ^ ほかに宋洞本(Songdong-bon)も「京板本」系統である[6][8]。
- ^ また上演物でも、語り手がひとりのパンソリでは「歌」だが、各役を別の訳者が担う歌劇を録音した「古代歌劇音盤」では「沈清伝」となる[13]。
- ^ 某論文でも83の異本を挙げているが[15]、キム・ジニョン(編)『沈清伝全集』に所収の数と思われる。
- ^ 『三国史記』「孝女知恩」、『三国遺事』「居陀知」「観音寺縁起」が挙げられている。
- ^ ただし居陀知という男性(弓の名手)は、自身が池に投げ込まれたのではなく、竜の池に誰を置き去りにするかをクジ引きで決めるとき、居陀知の名札が池に沈んだのである[18]。
- ^ 初期パンソリ辞説(朴順浩の蔵書)では「梁氏」[24]
- ^ 父親は、完板本や巫歌(クッ)では「シム・ハッキュ」、初期パンソリ辞説(朴順浩の蔵書)では「シム・ウン」[24]。申在孝の著本では「沈鶴九(シム・ハック)」[17][24]。
出典
[編集]- 脚注
- ^ a b c d e f g 鄭灐 チョン・ヒョン「『本朝二十不孝』考:創作意図の二元性を中心に」『筑波大学平家部会論集』第6巻、52–53頁、2007年3月8日 。
- ^ a b c d e 矢野 (1999), p. 60.
- ^ 金達寿; 入江徳郎「対談・朝鮮人の意識と日本人の意識」『民話』19 特集 日本のなかの朝鮮人、25頁、1960年4月 。
- ^ a b c 田中明「沈清伝」、小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)。via コトバンク
- ^ a b c d e f Pihl, Marshall R. (1994). Song of Shim Ch'ŏng. Harvard University Press. pp. 114–117 . ISBN 0-674-50564-6
- ^ a b 金光淳 キム・グァンスン『고소설사 (古小說史) [History of [the Korean old novel]]』Saemunsa、2006年、384頁 。
- ^ a b 明 (1992), pp. 70–71.
- ^ Kwon, Sun-Keung; Han, Jae Pyo; Lee, Sang-Hyun (2010), “Geil munseo: sojae <Sim Cheong jeon>, <Tosaeng jeon> yeong-yeogbon-ui balgulgwa uiui”, Gososeol yeongu (30) (英文)
- ^ 矢野 (1999), p. 70.
- ^ 矢野 (1996)、矢野 (1999), p. 70。 朴順浩 (パク・スンホ)蔵書。『ハングル筆寫本古小說資料叢書』第73巻、429–465頁。 劉永大(ユ・ヨンデ)『沈淸傳硏究』で現代ハングル文字に起こされている。
- ^ ホン・スヒョン 홍수현 (1997-07-18), “<출판화제>판소리(異本)첫번재 모음집 '춘향전.심청전 전집'”, 中央日報
- ^ キム・ジニョン [金鎭英 김진영]・他(編)『沈清伝全集 심청전 전집』、パギジョン、1997年.
- ^ 和田 (2014), p. 97、注32.
- ^ a b 矢野 (1999), pp. 59–60.
- ^ シン・ホリム 신호림 (2016). 심청전의 계열과 주제적 변주 [Series and Thematic Variations of Simcheong jeon] (Ph. D.). 高麗大学校.
- ^ a b c 金賛會 (1992), pp. 25–26.
- ^ a b 明 (1992), p. 71.
- ^ 曹, 述燮「龍の危難とその説話的展開 : 「元聖大王」および「真聖女大王・居陀知」条を中心に」『愛知淑徳大学論集. 文化創造学部篇』第5号、2005年、21–43頁、CRID 1050001202566546560、hdl:10638/2313。
- ^ 金台俊 (1975), p. 181.
- ^ 金思燁 キム・サヨプ『完訳三国遺事』〈金思燁全集 김사엽전집 25〉2004年、14頁 。
- ^ 卞宰洙 ピョン・ジェス『朝鮮文学史』青木書店、1985年、215, 226頁 。
- ^ 鄭の論文の京板本、完板本共通の梗概[1]。金台俊 (1975) 『朝鮮小説史』 (東洋文庫) 270頁に拠るとする。
- ^ 季羡林; 刘安武「沈清传」『东方文学辞典』、Beijing Book Co. Inc.,、1992年。ISBN 9787538318760 。
- ^ a b c d 矢野 (1999), p. 63.
- ^ 「沈清伝」『世界大百科事典』 第2版。via コトバンク
- ^ 「沈清伝 」『日本大百科全書』。via Yahoo!百科事典
- ^ 矢野 (1999), p. 64.
- ^ 矢野 (1999), pp. 63–65.
- 参照文献
- 金台俊 キム・テジュン『朝鮮小説史』平凡社〈東洋文庫〉、1975年(原著1933年) 。
- 金賛會 キム・チャンフェ 著、立命館大学日本文学会 編「本解「沈清クッ」と説経「松浦長者」(上)」『論究日本文学』第57号、25–34頁、1992年12月 。
- 明, 眞淑 ミョン・ ジンスク「研究発表 『沈清伝』と近松に見る親子関係」『国際日本文学研究集会会議録』第15号、1992年3月1日、69-77頁、CRID 1390010643477949952、doi:10.24619/00002167、hdl:10367/00017083。
- 矢野百合子「聖徳山観音寺縁起説話の形成と変容」『朝鮮学報』第158号、129–162頁、1996年1月1日 。
- 矢野百合子「沈清伝の変容とサヨヒメ説話との比較」(PDF)『口承文芸研究』第22号、59–70頁、1999年 。
- 和田, とも美「‘パンソリ’から朴正熙政権下の‘健全歌謡’へ―韓国における「いとしのクレメンタイン」受容史―」『富山大学人文学部紀要』第16号、2014年8月、87–116頁、CRID 1390853649736563328、doi:10.15099/00000287、hdl:10110/12931。