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沈彦俸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
沈彦俸
生誕 1922年10月14日
大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮忠清南道牙山郡
死没 (1954-11-19) 1954年11月19日(32歳没)
大韓民国の旗 大韓民国忠清南道大田市
所属組織  大日本帝国陸軍 大韓民国陸軍
軍歴 少尉(日本陸軍)
中将(韓国陸軍)
墓所 国立大田顕忠院将軍第41墓域
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沈 彦俸(シム・オンボン、沈彥俸、심언봉)は、大韓民国陸軍軍人

経歴

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忠清南道牙山に生まれる。普成専門学校に入学[1]学徒出陣して日本軍に入隊。

1946年1月28日付で軍事英語学校卒業、任少尉(軍番10022番)[2]、第2連隊創設要員[3]

1946年5月1日、第2連隊長代理(中尉)[4]

1946年9月11日、第6連隊長[5]

1947年10月22日、第7連隊長(少佐)[5]

1949年6月20日、第8師団参謀長(大佐)[6]

1950年6月10日、陸軍本部兵器監(~10月26日)[7]

1951年、第3軍団参謀長。同年6月22日、国防部兵器行政本部長[8]

1951年7月、国民防衛軍事件の裁判で中央高等裁判長に任命[9]

1952年1月25日、憲兵司令官[10]

1952年9月、第2訓練所副所長[11]

1953年6月15日、第2訓練所長[12]

1954年5月28日、少将[13]。同年11月19日、大田で殉職。1987年5月21日、国立大田顕忠院に安葬。

出典

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  1. ^ 国防軍史研究所2 1997, p. 30.
  2. ^ 佐々木 1983, p. 86.
  3. ^ 佐々木 1983, p. 130.
  4. ^ 佐々木 1983, p. 193.
  5. ^ a b 佐々木 1983, p. 196.
  6. ^ 佐々木 1983, p. 214.
  7. ^ 国防軍史研究所5 1997, p. 30.
  8. ^ 박동찬 2014, p. 96.
  9. ^ “국민방위군 사건(2)-의문을 남겨둔 채 역사 속으로” (朝鮮語). 통일뉴스. (2017年1月3日). https://www.tongilnews.com/news/articleView.html?idxno=119336 2021年9月5日閲覧。 
  10. ^ 박동찬 2014, p. 103.
  11. ^ 第二訓練所 副所長 沈彥俸准將任命” (韓国語). 国史編纂委員会. 2021年9月5日閲覧。
  12. ^ 박동찬 2014, p. 136.
  13. ^ “長官級 27名 昇進” (朝鮮語). 부산일보. (1954年5月30日). http://www.busan.com/view/busan/view.php?code=19540530000029 2021年9月5日閲覧。 

参考文献

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  • 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国篇 上巻 建軍と戦争の勃発前まで』(第4刷)原書房、1983年。ISBN 4-562-00798-2 
  • 박동찬 (2014) (PDF). 통계로 본 6·25전쟁. 국방부 군사편찬연구소. ISBN 979-11-5598-010-1. https://www.imhc.mil.kr/user/imhc/upload/pblictn/PBLICTNEBOOK_201408070704130850.pdf 
  • 護國戦歿勇士功勳錄 第2卷(創軍期:김숙봉~류지열)” (PDF) (韓国語). 韓国国防部軍史編纂研究所. 2021年9月5日閲覧。
  • 護國戦歿勇士功勳錄 第5卷(創軍期:유재익~이칠규)” (PDF) (韓国語). 韓国国防部軍史編纂研究所. 2021年9月5日閲覧。
  • 沈彦俸”. 国立大田顕忠院. 2021年9月5日閲覧。
軍職
先代
金炯一
大韓民国の旗 大韓民国陸軍本部兵器監
第4代:1950.6.10 - 1950.10.26
次代
安東淳
先代
崔慶禄
大韓民国の旗 大韓民国陸軍憲兵司令官
第9代:1952.1.25 - 1952.9.20
次代
石主岩
先代
李成佳
大韓民国の旗 大韓民国陸軍第2訓練所長
第3代:1953.6.15 - 1954.6
次代
咸炳善
公職
先代
李鍾賛
大韓民国の旗 大韓民国国防部兵器行政本部長
第6代:1951.6.22 - 1952.1.22
次代
姜英勲